早野龍五、糸井重里『知ろうとすること』新潮文庫、2014年10月

 

知ろうとすること。 (新潮文庫)

知ろうとすること。 (新潮文庫)

 

 

■内容【個人的評価:★★★★-】

福島原発事故を原因とする内部被ばくはかなり軽いものだった
  • いまの時点で明らかなのは、さまざまな調査や測定の結果、起きてしまった事故の規模にたいして、実際に人々がとうむった被ばく量はとても低かった、ということです。とくに、内部被ばく(おもに食べ物や水によって、体内に放射線源を取り込んでしまったことによって起こる被ばく)に関しては、実際に測ってみたら当初想定したよりも、かなり軽いことがわかった。「もう、食べ物については心配 しなくていいよ」と言えるレベルです。(早野)(20ページ)
  • また、2013年に国連の科学委員会の人たちが福島第一原発の事故に関するレポートをまとめることになっていたんですが、その材料となるべき査読付きの論文がほとんど出てなかったんです。ということは、後世まで残る国連のレポートに、 福島で計測したホールボディカウンターのデータが反映されないことになる。それはちょっとよくないだろう、と。 そういうこともあって、「チェルノブイリ事故の経験に基づく予想よりも、福島 の人々が受けた内部被ばくははるかに低い」という事実を世界に知らせるべきだと思って、2013年のお正月をつぶして論文を書きました。(早野)(73ページ)
◇ 比較的放射線量の高い食べ物もあったが、しかし・・・
  • 検査を続けるうちにだんだんわかってきたのは、やっぱり流通してない食べ物を食べ続けている人です。お年寄りに多いんですけど、裏山のキノコとか山菜、それから野生のイノシシ、そういうのを事故後も継続的に食べていた人でした。とはいえ、10ベクレルっていうのは、本当にちょっとなんですよ。でも、やっぱりゼロイチ思考というか、食品にしろ、自分の体内にしろ、どうしてもみなさん「検出されませんでした」とならないと納得されない。「微量だけど検出されました」というのとは、ものすごい大きな違いがあるわけです。だから、「検出されました」っていう事実は重いし、それを伝えるときは、それがどういう意味なのかを ちゃんと説明してあげなきゃいけない。言われたほうは、相対的な量の感覚が薄いので、やっぱりショックですから。だけど、「ちょっと裏山のキノコを食べないようにして、3ヵ月後にまた測りましょう」って言って、もう一度測ると、みなさんちゃんと減るんです。(早野)(77ページ)
◇ ベビースキャンの実施結果
  • 2014年8月の時点で、約1000名測定していて、全員、検出されていません。内部被ばくは、ありません。ちなみに検出限界は全身で50ベクレル未満です。(早野)(127ページ)
◇ 元素の成り立ちと、人の構成元素
  • そうです。ところが、星が燃料切れになると、中側からのエネルギーでは、 引力を押し返せなくなるので、真ん中に向かって星は徐々につぶれていくんです。そして、一気にパ17とつぶれると、星の其ん中にある硬い鉄の塊に、どんどんどんどん電子がめり込んでいって、最後は中性子星になるんだけど、その反動で外に 向かって爆発が起こるんです。これが超新星爆発です。星が一生を終えて爆発するわけですね。その爆発のときに、星が営々と作ってきたさまざまな元素が字宙空間にばら撒かれるんです。酸素、窒素、炭素、それから鉄。そういう元素が宇宙空間にばら撒かれる。 そのとき、爆発の中心には中性子星ができるので、そこには中性子がたくさんあるんですけど、その中性子が、ばら撒かれていく鉄などにどんどん当たって、一気に元素の種類が増えるんです。中性子が鉄に当たって、鉄より一つ重たい元素ができ、鉄より二つ重たい元素ができ・・・というようにして、重たい元素がどんどん増えていく。そのときにできた割と重たい元素のひとつが、ウランなんです。(早野)(138ページ)
  • われわれの体の中で、一番個数の多い原子は水素なんですね。水素は軽いので重量でいうと少ないんですけども、個数でいうとわれわれの体の中にものすごくたくさん存在している。水はもちろん、タンパク質には必ず水素がくっついてるし、脂肪の要素である脂肪酸は炭素の周りに水素がくっついたものです。つまり、体の中には、たくさん水素がある。で、この水素の原子の年齢がいくつかというと、138億歳なんです。(早野)(140ページ)
◇ 事実とその捉え方
  • よく思うのです。事実はひとつしかありません。事実はひとつしかないけれど、 その事実をどう見るのか、どう読むのかについては幾通りもの視点があります。 その視点は、それぞれに大事にされるべきだと思います。のちに正しかったとか、 まちがっていたとか明らかになるにしても、「その見方があった」というのは、これまた事実であるからです。善意とか悪意とか、誠実であったか冗談として語られていたかについても、問われる必要はありません。とにかく、その視点があったということは消せない事実であります。(糸井)(174ページ)
  • 人というのは、おもしろい生きもので、野次馬というやつをこころのなかに飼っています。 野次馬は、当たり前のことや、わかりやすいことを好みません。いろんな視点が 出てくることをよろこびます。その見方が強く感情に訴えるものだったり、強い興味をひくようなものだったりしたら、おおいにこころを騒がせます。視点どうしが対立して激しい応酬があったりしたら、格闘技をみるようにそのスリルをたのしんだりもします。そして、こころの奥にある「たのしんでいる」ということを隠したままで、無垢な善意の人として心配そうに顔を曇らせたりもします。(糸井)(174-175ページ)
◇ 参考にすべき意見とは
  • 2011年のある時、ぼくはこんなツイートをしました。 〈ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」 を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を 選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」 を選びます。〉(糸井)(180ページ)

■読後感

東日本大震災に起因する福島原発の事故の影響についてはこれまでセンセーショナルに扱われてきた側面も強い。しかし、事実はどうなのか、ということについてこの本を読むと、「そうだったのか」と目を開かされる部分が多くあった。文中でも述べられているが、当事者の知識は前に進んでいるものの、離れた地域にいるわれわれは事故が起きた当時とそれほど事実認識が進んでいないというのが本当のところなのだろう。

とりわけ早野先生は、この問題に専門ではないにもかかわらず、当初から基本的な知見やデータ分析のツイッターによる拡散や、その後も福島の人々に対する内部被ばくの調査など深くかかわってきた人だが、研究者として事実を誤りなく伝えるということに力を注いできたことがよくわかる内容だった。