植島啓司『賭ける魂』講談社新書、2008年5月

賭ける魂 (講談社現代新書 1942)

賭ける魂 (講談社現代新書 1942)

■読後感
この本では、著者のギャンブル遍歴(人生も含め)の紹介があり、競馬、カジノ、マージャンなどの例を引き合いに出しながら、確率ではなく「運」を引き寄せる力のようなものを説いている。日本人の多くが負けることに対し病的な不安を持っており、賭けに委ねることを忌避しているという。

著者は、必然性だけでなく、「信じる」ことにより偶然性に委ねる人生も面白いのではないかとしている。たしかにその通りかもしれない。あまりにも必然的・合理的すぎるのが日本人の生き方かもしれない。

たしかに、日本にはカジノはなく、そうした場を遊ぶことについて、アジアのはるかに所得の低い国の国民の方が抵抗を持たないだろうことはよく分かるような気がした。

これは、投資に関しても同じで、たとえば株式に手を出すことは財産を破滅する道のように感じていることも事実だろうと思う。

若いころ毎日のようにマージャンしていたわけだが、ここには駆け引きという重要な要素が含まれていた。これは競馬やパチンコとは圧倒的に異なる要素だ。

ただ、「運」も面白いが、与えられた状況の中でどうふるまうことにより最大限に勝つこと、最小限に負けることができるか、といったゲーム感覚が面白かったように思う。

逆にとりわけパチンコの持っている常習性は、ある意味賭けの持つ怖さでもあり、これについてはなんとも言えないところがある。

著者は破滅している人はそれほどいないだろうとしているが、実際には多くいるはずだろうと思う。

賭けの持つ理性的な面白さ、デモーニッシュな力まで言及してもらえればさらに面白かったのではないかと思う。