網野善彦『日本の歴史をよみなおす』ちくま学芸文庫、2005年
- 作者: 網野善彦
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/07/06
- メディア: 文庫
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- 中世・近世における「農業社会」という考え方に一石を投じる研究
- 人間の心性というものがある程度確立しており、また一方で呪術的なものも残っていた時代
- 経済活動として商工業がどのような形で形成されたのか
- 貨幣や富という概念がどう形成されたのか
- 14・15世紀は文字の普及が急速に進んだ時代。とりわけひらがな交じりの文書の書き方が進んだ
- 江戸時代は、この文字の普及を基礎として体制が作られている
- しかし普及の過程で、鎌倉時代までは読みやすかったのにたいし、読みづらくなっていった(「文字に品がなくなる」)
- 逆にいうと、それまでは文字に対し畏敬の念をもっていたが、実用で使うということにシフトしていったということができる
- 江戸という国家は、これまで口頭で行われていた行政をすべて文書による形態にシフトしたということができる
- 文字は領主側から変わっていき、庶民の書体も変わってくるという図式
- 明治になると、法律・軍隊の文字はカタカナになりさらに読みづらくなってくる
- 13世紀末から14世紀にかけて埋蔵銭が多くなっており、富の蓄蔵手段としての役割に着目されていたことが分かる
- 貨幣を中国から輸入していたわけだが、為政者は貨幣を鋳造しようとしなかった。これがなぜなのかは不明
- 言語と貨幣により社会の均質化が進んだ
- 贈与互酬の関係から進んでモノが商品となるとき、世俗から切り離された場が必要だった。それが市場であり、川の中州や坂などに設けられた
- 神人・寄人・供御人などは、賎民であるが、賎民とは卑しい民ではなく、特権を与えられた人々であり、これらの人を殺害した場合には神罰が与えられる
- これらの人は国家の制度に組み込まれた人。年貢の取立てを寺院や神社にかわって行うこともある
- このように、最初は聖なるものであった商工業、とりわけ商業が13世紀以降だんだん世俗的なものにかわっていった
- 鎌倉新仏教の商工業に占める意味は大きい。寺内町を形成して商工業者をあつめ、また無縁所として寺をもとにした金融を行っている。資本主義の初期の形態が鎌倉新仏教をもとに形成された
- ケガレとは何か。それは、生死、災害のように常態が何らかの理由により変化した状態である
- ケガレは伝染するが、道や河原といったところでは伝染しない。いわば特別な場であった
- 14世紀までの非人は、江戸時代の被差別部落とは異なり、ケガレを清める力をもつ存在としてとらえられていた
- 一向一揆を国人対農民の戦いとするのはたいへんな間違い。井上鋭夫のように真宗の基盤は「ワタリ」という水運業者・漁労民、なかには回船問屋として巨富をつんだものもあった。
- 一向一揆と信長の戦いは、重商主義と農本主義の戦いでもある、一国を統一するためには、土地を基礎とした租税方式をとることとなる。これは律令国家以来の古くからの方式。
- 江戸時代の飢饉についても再検討の余地がある。東北地方に甚大な被害があったというのは、じつはこの地方が都市化された地域であったためではないか。
この本から伝わってくるのは、少なくとも中世という時代に、鎌倉新仏教(時宗、真宗)などと結びつき、交換の活動が活発に行われていたということ。これは日本海を中心として、国際的な商業のネットワークが形成されていたということ。
経済活動と国家統一との争いを経て近世に移行している。ただしこれをもって商工業が衰退したわけではなく、都市的な発展をとげる地域もあった
言語と貨幣の一般化が国家の基礎を形成した