竹田篤司『モラリスト』中公新書、1978年7月

モラリスト―生き続ける人間学 (1978年) (中公新書)

モラリスト―生き続ける人間学 (1978年) (中公新書)

■読むきっかけ

  • 「書く」ということに積極的な意味を見いだしている
  • 政治状況に対峙する人間の一つのあり方として確認したい

■内容【個人的評価:★★−−−】

  • モンテーニュは著書『エセー』の中で、現実に対し、自らの判断力でそろりそろりと向かっていく、そして自らの背丈には深すぎる場合には川岸にとどまる=先へは進まない、ということを書いている
  • モラリストというものは、日常性の次元(飲み、食い、眠る)から出発してものを考えるという立場である
  • モラリストは認識者として冷然と世界や人間をみるのでなく、絶えず生活者として実践を行うものである
  • モラリストを「道徳者」(英和辞典)と訳すとニュアンスが異なってしまう。どちらかというと「人間の生き方探求者」(仏和辞典)である
  • モンテーニュの生まれは1533年、16世紀フランスの人間である。主著エセーは塔の一室で20年にわたり、59歳で死ぬまで書き続けられたものである
  • エセーの神髄は最終巻である第三巻で、ここでは、自分の生活、性向、気質、肉体、病気、趣味嗜好、セックスに至るまで自分自身を語っている
  • エセーのスタイルは「書きながら考える」というもの。考えをまとめてから書いているわけではない。
  • 同じくモラリストの系譜に属するデカルトも、実践における知性をより真実に迫ることのできるものとしてとらえ、理性や判断力だけでなく、強靭な意志や鋭い直感を必要なものとして考えていた。
  • いっぽう同じくモラリストの系譜に属するパスカルの『パンセ』は、さまざまなアングルから人間をみるという方法を採用しており、形式は断章の集成という形をとっている。また、すべての存在は相対的でしかなく、神の国に飛躍してはじめて真の善や正義、幸福を手に入れられるとしている。
  • 最終的には、モラリストとはこれだというような確固たる定義があるわけではない。曖昧な定義しかなく、連続性や一貫性も存在しない。
  • 試しに3つ大まかな要件をあげてみると
    • 1.人間ないしはその生き方の探求者
    • 2.人間の認識とその表現との関係はきわめて密接であるとの観点からその表現のスタイルが型にはまっていない
    • 3.その人間探求の根底には人間は本質的にはみな同じであるという、普遍性に対する確信が潜んでいる
  • 近代的な小説のスタイルが確立し、また人間はそれぞれ異なるという認識が定着した18世紀以降、モラリストという存在はその拠って立つところを失っていった。

■読後感
この書物自体が、大学のコンパや尖鋭に対する恐怖など自らの日常をふまえ、対話という形で、思索のみで構成することを避けている。
現実や自らが考えるというところに立脚点を置くというのは健全なことと思うし、借り物の知識よりも自分に力を与えるのではないか
現代では橋本治さんのような人をいうのではないか。彼の作品には少なくとも引用はない。
ただし、この著作では現実をふまえ、自ら考える人ということ以上には得られるところはなかったような気がする