杉山光信『モラリストの政治参加』中公新書、1987年3月

■読むきっかけ

  • 杉山光信氏の他の著書を読んでおり興味があったため
  • 前日に竹田篤司『モラリスト』を読んでおり、これをふまえて読むことができるため

■内容【個人的評価:★★−−−】

  • フランスの知的生活において、「いまや時代の空気はマルクスから離れトクヴィルに属するものとなっている。」とフランソワ・フュレはいっている。
  • レイモン・アロンがめざましい脚光を浴び始めたのはまさにこの時代的背景を受けてのことである。
  • 1950年代の中頃に、サルトルメルロ=ポンティが「歴史の意味」をめぐって論争しているときに『知識人の阿片』を投げ入れ、1960年代から1970年代にかけて、アルチュセールを徹底的に批判しているが、当時は反動の思想家としてとらえられてきた。ところが今は高く評価されるようになった。
  • マルクス主義の影響力が消え去ってしまった後、それにとってかわったのは「人権の思想」という全体主義を批判する思想である。(収容所群島、ポーランドの連帯など)
  • アロンがその思想的支柱としていたのはアランである。アランは個人の自由を出発点とした。個人の自由を守るためには社会に秩序が確立されていることが必要であるが、これを社会契約によって成立させているうちはよいが、統治者にゆだねてしまう傾向があり、ひいては専制につながってしまうことになると考えた。
  • ここから身を守るため、権力に対する執拗な抵抗を行うことが必要である。民主主義は制度の中に存在するのではなく、抵抗という運動の中にあるということになる。
  • アロンはアランについて、思想的な深まりを認めたうえで、実践的な行動にかかる示唆が少ないのではないかとして批判した。
  • アロンの経歴をみると、サルトルやニザン、レヴィ=ストロースと同様にエコール・ノルマルの出身である。ここではアロンは社会主義者としてみられていたようだ。その後、ドイツへ留学し、エコール・ノルマルで研究したカント哲学を改めて違う視点から学んだ。しかし、より多くの影響をアロンに与えたのはマックス・ヴェーバーであった。
  • アロンは、歴史に意味付けすることを否定し、現実の複雑性はのりこええないものとした。『回想録』で行おうとした歴史理性批判は、カール・ポパーが『歴史主義の貧困』のなかで行った歴史法則主義の批判と通じるものがある。アロンは進歩主義に懐疑的であった。
  • 『歴史哲学序説』では次のように書いている。「進歩の哲学は、社会と人間の生の全体が向上していると認めることにあるからである。本質上、この主知主義的な哲学は、科学から人間へ、集団組織へと進む。それは、道徳性が、論理的にも、事実としても、知性とともに進むとする点で楽観的な哲学である。・・・理性はもはや最高の善でも決定的な力でもない。」とし、固有の歴史的背景を有していることを考慮に入れると、共同体的社会とリベラルな社会を一つの尺度で比較すること自体ができないことだとしている。
  • 歴史的事実は個別の因果関係の鎖がつながって構成される。全体から演繹されるものではない。

■読後感
アロンの思想的・学問的遍歴を正確にトレースしようとしており、時代の様々な歴史学者社会学者との対比を行っている。
ただし、なぜかクリアな全体像が見えてこない、どちらかというと時点時点における考え方のブレなどを真面目にすぎるほど追求しており、また観察の対象自体が拡散しすぎているきらいがある。
サルトルアルチュセールなど周囲の思想家への目配りが丁寧すぎ、かえって核心がぼやけてしまっているという印象だった。