岩井克人(聞き手:三浦雅士)『資本主義から市民主義へ』新書館、2006年8月(その1)

資本主義から市民主義へ

資本主義から市民主義へ

■読むきっかけ

  • 岩井氏の著書について学生時代に岩田昌征教授と読んだ体験を持っており、新古典派理論を根本から問い直し、再構築した学者・思想家としていまだに印象が深いこと。
  • 資本主義や企業のあり方について、歴史をさかのぼってどのように捉えてきたのか深く探求しており、現代のわれわれにとっても大いに参考になること。

■内容【個人的評価:★★★★−】
貨幣論

  • 「貨幣は貨幣だから貨幣である。」それ以外の理由、例えば金銀であるから、法律で決められているから、などの理由はない。
  • 社会主義体制が崩壊し、「市場」が世界を覆いつくすようになった。古典派以来の経済学の枠組では、これにより最適な資源配分がなされ、調和的な社会が到来するだろうということになる。しかし現実は、1997年7月にタイ通貨バーツの暴落とその全世界的な飛び火にみられるように、価格調整により市場が自動安定するという考え方に現実がノーと言っている。
  • 金融は、実体的な経済活動の補助的な手段、派生的な活動であるかに捉えられているが、貨幣自体が派生物(デリバティブ)であるといってよい。本来は交換の手段でしかないものだが、いったん手元に入ると、今使うのか、それとも将来使うのかという決断が必要となり、必然的に投機の要素を備えたものとなる。紙幣であるか金銀であるかにかかわらず、貨幣はそれ自体が投機性を備えており、危機的な状況を作り出す可能性がある。
  • アダム・スミス以来の古典派経済学は、重商主義を否定することから出発したが、じつは重商主義の中に「貨幣」「資本主義」にかんする思考がある。これを抑圧した上に現在の経済学は成り立っている。
  • 18世紀半ばから現在にかけて、人間中心主義、労働価値説の時代となり、ロックやヒュームのように政治経済のことを総体的に論じることがなくなってしまった。しかし、重商主義の時代にじつはもっとも生産的な思索が行われていた。
  • 商人資本主義の時代には、二つの土地の価値体系の差異を利潤の源泉としていた。国民国家、産業資本主義の時代は国家の中に都市と農村という二重構造を作り、農村の共同体的低賃金が源泉となった。現在では産業予備軍が枯渇し、高度情報化、グローバル化という形でこれまでとは異なる差異性を求めるようになっている。
  • シュンペーターは創造性をもった人間が革新を生み出すといった人間主義的な思考を行った。しかし、そうした人間が革新を生み出していくというダイナミズムそのものは、資本主義がその特性ゆえに生み出したものである。
  • 貨幣は自己循環論法により成り立っているが、これは基軸通貨の世界における地位についても同じである。基軸通貨ドルの発行主体であるアメリカはシニョレッジ(王権利得)を有しているが、逆にいうと、その発行において規律を求められている。しかし、その規律が往々にして忘れ去られてしまっている。理想的には世界中央銀行ができることが望ましいが、大変に難しいことであるといえる。地道に制度化を進め、いっぽうでは世界中央銀行のもとの通貨体制ができあがるまでは基軸通貨ドル体制をなんとかもたせる必要がある。
  • 『不均衡動学の理論』の中で、資本主義とは基本的に不安定なシステムであり、これを安定化させるのは、市場原理に従わない制度や機関が存在していることだということを論じた。ドイツの中央銀行は、政府がもっと紙幣を刷ってくれと要請しても、インフレを招く恐れがあれば絶対に刷らない。こうした存在が必要である。
  • 単一通貨というのは、その範囲で資本と労働が自由に動くことを前提としたものである。ユーロについていえば、停滞した地域に合わせて通貨を発行すると、過剰発行の危機を内包している。
  • 人間は、言語、法、貨幣の媒介によってはじめて人間となる。ところが、人間の存在が自明のものとされてしまうと、これらは媒介としての位置づけにおとしめられてしまい、人間そのものの存立構造についての思考ができなくなってしまっている。

○資本主義論

  • 資本主義には、商人資本主義、産業資本主義、ポスト産業資本主義という流れがある。ただしこれらは発展法則ということではなく、三つの基本的な形態と考えた方がよい。この流れの中で日本的経営は第二次産業革命以降の後期産業資本主義にマッチしたシステムであった。
  • 産業資本主義を特徴づけるのは機械制大工場である。これにより労働の生産性が飛躍的に上昇した。しかし、生産性が高ければ利潤が生み出せるのではない。労働者の賃金が高くなったら利益は生み出せないのである。だから産業資本主義は労働者を安い賃金で大量に雇い入れることができてはじめて可能となる。農村における過剰人口を前提としたシステムであったということである。
  • 第二次産業革命(19世紀後半から20世紀前半)により重化学工業が現れる。これは、熔鉱炉、造船所、石油精製コンビナートのように機械設備が大規模で費用が大きい。利潤は得られるが、一方で設備投資費が膨大であり大幅な赤字を生み出しかねない。こうした産業の形態に必要なのは専門的経営やエンジニア、熟練労働者の存在である。終身雇用・年功賃金・会社別組合を特徴とする日本的経営はこの産業体制に適合していた。
  • しかしこの経営形態でひとたび成功したため、ポスト産業資本主義の時代になると、この新しい産業体制に適合するための経営形態の転身が難しくなっているのが現状である。
  • ポスト産業資本主義では、労働者の賃金が上昇してしまっているため、差異性からしか利潤を生み出せない。それはほかの企業と違った製品、能率の高い機械、ほかの企業がいない市場の開拓、ほかの企業にない組織形態の考案である。何らかの意味で優位性をもつことが利潤の源泉となる。資本対労働でなく、資本対資本である。
  • サミール・アミンやフランクの従属理論、ウォーラーステインの世界システム論、これは第二次産業革命までの資本主義像に規定されたものである。ウォーラーステインの視点は面白いが、基本的には階級論や搾取論で分析しており、理論的に誤謬がある。
  • ウォーラーステインの中心・周縁理論には本質的な誤りを含んでいるが、これとは異なり中心・周縁の関係性=基軸通貨、基軸言語、基軸文化論があると考えている。なぜ中心は中心を占めるに至ったのか?それは、デファクト・スタンダードでなったからであり、決してその母体が大きく強いことを必要としない。中心は、例えばソフトウェアにおけるマイクロソフトのようにささいなきっかけで生まれるものである。
  • アダム・スミスの段階では価値の源泉が労働にあるとは言っていない。リカードで初めて労働価値説という視座が持ち込まれた。これを資本主義にのみ通用する原理としてではなく、歴史を超越した自然法則であるととらえたのがマルクスである。しかし、この地点から出発したにもかかわらず、価値の形態を分析する中でマルクスはほぼ貨幣はデファクト・スタンダードに過ぎないという結論にまで到達してしまった(価値形態論)。この結論は自らの労働価値説を壊してしまうものであるため、その結論から撤退し、金という実体的な価値を持つ商品であり、金鉱で働く労働者の労働力であるとしてしまった。この労働価値説が200年もの間経済学を支配していたことになる。