林望『リンボウ先生の文章術教室』小学館文庫、2006年6月
- 作者: 林望
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2006/05/11
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 12回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
- 修辞というものをもう一度勉強しなおしたい。
○第一部「リンボウ先生の文章術講義」
- みなさんの文章は無駄が多い。書かない方がよいことばかり書いている。不純物が多い文章は締まりなくだらだらとしてしまい、読み手にとってはちっとも面白くない。お金と文章はケチなほどよい。
- 文章を書く最大の要点はその客観性である。客観的事実だけを書けと言っているのではない。主観的文章を書くときでさえ、客観的批判が自分にないと人には読んでもらえないということである。たとえば、感激ばかりが書いてあってなぜ感激したのかを人に伝える意識がない文章が多い。自分が感激しているだけではだめで、まずはそれを冷徹に眺めることが必要である。
- 随筆とエッセイは異なるものである。エッセイとは一言でいえば論理的文章である。つまり身辺雑記などはエッセイではない。随筆というのは、プロの作家が趣味で書くものであって、人生経験と筆力がものをいう世界である。
- 小説には「私は」で書く一人称のものと「秋山小兵衛は」などと書く三人称のものがある。また、三人称である場合は視点人物を設定するかしないかといった違いがある。一度叙述のスタイルを設定した場合には、ずっとそれを変えるべきではない。
- 評論文は、何かを論証したいということが目的となる。この主題がない場合には、論文を書く意味がない。
- 仮説を設定し、一つひとつ証拠を挙げることにより論証することとなる。逆に言うと、新しい証拠が出てくればまた違う結論にもなるわけで、学術論文も言わば作文である。
- エッセイを「読み物」として成立させるためには、テーマがまず必要だが、「あ、面白い」と思うような切り取り方が必要である。着眼を鋭くするためには観察の力量を必要とする。こんなものだろうという「概念」でストップしてしまい、「観察」ができていないことが多い。
- さらに修辞法、話法(話し言葉のように、思い出話のように、対話体にする、聞き書きの形をとるなど)を決めたり、どういうことを述べるかという「論理」も必要である。
- 学術論文では次々に挙証していき、だから結論としてはこうです。となるが、エッセイでそんな書き方をすると退屈である。起承転結というスタイルもあるが、これだけでは単調になってしまう。
- まず結論をいうのか、それとも最後に結論をいうのか。いずれの方法をとるにせよ、文章のどこかに独自の経験なり発見なりがないと読んでもらえない。結論を先に書く場合は、結論が意外でないといけない。
- 文体を決めることが必要。好きな文体を真似ながら自分らしいものにすることも方法である。(伊丹十三のエッセイが文体の参考になった。)
- 敬体(です・ます調)で書くのか、常体(だ・である調)で書くのか。男性は常体で書くことが多く、女性は敬体で書くことが多い。しかし、敬体では形容詞の使い方に制限があるため、常体の方がよい。(美しい→美しかった(常体)、美しいです×→美しかったです×(敬体))文章に性別があるのは日本語の特徴であるとともに弱点でもある。
- エッセイはまた短いことが必要である。長くても原稿用紙30枚程度に抑える必要がある。(あまり短すぎてもいけない。600字以上3000字以下程度か)
- テーマでも大きいテーマ、小さいテーマがある。小さいテーマであれば800字程度、大きいテーマであれば原稿用紙12〜15枚は必要になるだろう。テーマの据え方で文章の大小が決まる。
- 一番大切なことは、人に読んでもらうということ。書きだし、締めくくりでエッセイの力量は決まる。書きだしは「つかみ」何かキャッチーなものが必要である。それにより読者を引きずっていき、思いもかけないところへストンと落としたり、混沌としたことを一つの論理で締めくくったり、そうした重みのある締めくくりが必要である。
- 文章のへそ、3つくらいのポイントが文章には欲しい。ポイントは多すぎても散漫になるし、少なすぎては手ごたえがない。三つのキーワードを置き、それらをビーコンポイントのようにたどって終着地までいく形が薦められる。
- 書いていくといろんなことに気をとられがちになるが、これは文章自体をまとまりないものにしてしまう。
- 骨組と肉付けがあって初めて読んでもらえるもの、味わいあるものとなる。
- 書き手は、書き手であるとともに読者の視点も持っていなければいけない。
- 描写する力を日々訓練する。それから描写するためにはボキャブラリーが必要。これは多く本を読むことで養われる。
- 非常に大切な点として、文章には品格がなければならない。エッセイは品格が勝負である。品格がなければ説得力もなくなってしまう。とくに女性雑誌は品格のない文章の宝庫である。たとえば「〜してみては?」などちょん切り型の文章。「これが私のおもてなし」など体言止めの文章。品格のなさにおけるチャンピオンは「〜にこだわる」「地球にやさしい」「何ともやり切れない」など手垢のついた表現の使用である。
- 「〜にハマる」などはその極北である。いやしくも大和撫子の口にする言葉ではない。「こだわる」は拘泥することをやや批判的にいうもの、ほめるときに使う言葉ではない。
- 品格に関連するが、ユーモアも大切な要素である。自分が楽しんではだめ、たとえば志ん生の落語のように、出てくるだけでおかしい、そんな要素である。何かをからかうのであれば、自分をからかうのでなければいけない。
- 悪口は書かない。嫌なやつに何か書きたくなったら黙殺するのが一番である。
- コンピュータで書く方がよい文章が書ける。なぜか、それは自由に推敲できるからである。
- 推敲のためには、もとの文章は残しておいて、推敲用としてコピーしたものを推敲することがよい。あとで元に戻れる。
- 書式を決めておき入力していけばよい。横書き、行間はあける、文字間はあけないという方法がよい。改行はインデント機能を使おう。1枚800字とすると、25字×32行がよい。
- 題名を面白く工夫しよう。
- まず面白いトピックをぶつけよう。最初に種明かし(私の夫は数学者である)で言っては面白くない。
- 言わずもがな、言わなくてもわかる言葉はどんどん削ろう。
- 回りくどい表現は避けよう。
- 概念的に書くな、様子を書け。
- 陳腐な表現に堕するな。
- 事実を書いて、読者に考えさせろ。
- 「こう思った」というのはだめ。客観的事実で語らせろ。
- 落語は日本語におけるユーモアの精華であり、これに比べ楽屋オチ、自分ほめはもっとも下等なものであるといえる。
- 男の文章は説明になりやすく、女の文章はおしゃべりになりやすい。