J.R.ヒックス『経済史の理論』日本経済新聞社、1970年11月
- 作者: J.R.ヒックス,新保博
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 1970
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- 価格の理論を中心に研究を行ってきた経済学の大家による経済史への視点
- 都市という場に関する経済学的・歴史的考察が興味深いと思われる
- 経済史家ではないが、ずっと経済史に興味を持ち続けてきた。また、第一線級の経済史家から個人的に学ぶことができた。(大学院の指導教官は、G.D.H.コールであり、またT.S.アシュトンは同僚であった。)
- 数量経済史が流行しているが、数量データの乏しい時期であることや、経済活動そのものが他の活動から分化されていない時代を扱うということから、数量的な分析には限界がある。
- 経済史の大きな役割として、「他の諸学問が一堂に会して互いに話し合える公開討論会の場」ということがある。
- 自分が目指すのは、壮大な構想に歴史をあてはめる、シュペングラーやトインビーのような歴史理論ではなく、マルクスのような、自己の経済学から一般性をもつ理論を抽出し、歴史に適用するやり方である。
- 経済学は、個別の主体がどのように行動するかについては何も言えない。しかし、集団がどのような行動をとるかについては何らかの有効なことを言いうる。こうした「統計的に扱いうる」ものを対象として経済学的に考察を行うこととなる。たとえばフランス革命が起きた原因を「ルイ16世の怠惰」に見ようとする立場には何もいいうるところがない。しかし、「社会的諸変革の一つの例」としてならば説明する言葉を持ち得る。
- どこから出発すべきか?マルクスのいう「資本主義の勃興」に先行する「市場の勃興=交換経済の勃興」に着目すべきと考える。
- 商人的経済は、ほとんど最初から貨幣使用経済であった。商人は価値が保蔵できる財貨を選好した。それは金や銀であったが、それが一般性を持つほど他の商人たちも珍重した。いったん貴金属が価値保蔵機能を持つようになると、続いて価値尺度や支払手段としての機能を持つようになった。
- 貨幣の中で勝利を収めたのは、商人の刻印ではなく王の刻印を持つ貨幣である。また、貨幣鋳造を行うことにより王自身も利得を得ることとなった。
- 第二の経済的遺産は法律である。ローマ帝国は、軍事的専制君主によって作られたものではなく、都市国家によって作られた帝国である。ローマ人は慣習と指令の矛盾を解決するために法を利用した。ローマの商人法は、限られた支配階級の個人が持つ諸権利と相互の権利の調整に関するものである。しかしこのローマの商人法は現在に至っても支配的な地位を占めている。
- 商業からの徴税については、関税などの方法がある。しかし、これは限界を持っており、王は経済的に困窮することとなった。イングランドでは港は二、三に限られており、徴税もしやすかったが、ローマ帝国では港が多く、捕捉は難しかった。直接税方式にしたとしてもきちんと商人が申告するわけではない。しかし、近代となり有限責任会社の設立に伴い、会計が透明化されるとともに徴税の捕捉率が高くなっていった。
- 銀行業と国家は大いに関連を持っている。銀行制度が確立することで国家は貨幣供給の統制を完全なものにすることができた。国家は銀行から借入することができたからである。
- 大規模でこまかい行政は金を投じない限り実現できない。強力な徴税を受けて近代社会では行政が強力になった。
- 農民と領主は互いに必要としていた。領主は分け前をもらい、農民は保護を得ていた。
- この体制は、商業の浸透により、また金融面の浸透により影響を受けることとなった。
- 労働が交易の対象となるのは、奴隷制の場合と、賃金支払制の場合に分けられる。
- 都市では、労働過剰ではなく労働不足の状態であることが多い。したがって不熟練労働に対しても高い賃金が支払われることとなる。また、労働は稀少であるほど賃金は高くなる。
- 産業革命とは近代工業の勃興であり、たんなる工業の勃興ではない。工業は手工業段階にとどまる限り商業と大きな違いはなかった。近代工業では、固定資本財の範囲が著しく拡大した。
- 近代工業は「科学を工業にあてはめる」という決定的な特徴を持っている。
- 近代工業の特徴である「耐久設備が継続的な利用」においては、その運転のために永続的な組織と労働力を必要とした。
- 人はわずか10年の出来事に影響されすぎてはいけない。
- インフレ、国際収支の赤字等については、技術的な調整によってはなくならないだろう。
近代経済学の手法を歴史へ適用するやり方として、QEH(数量経済史)の取り組みがあるが、このヒックスが採用した方法より、より短期の歴史的事実を解明するためにさまざまな学問的成果を適用している。
どちらかというとこの著作では、数百年のスパンのエポックの変化について説明しており、クズネッツ『近代経済成長の分析』の序章のような位置づけになるのではないか。
市場について、農村における富の発生とその交換に置くのでなく、まず都市国家の勃興においている。
どちらかというと商業資本主義の考察が中心になるので、岩井克人の著作と合わせて読むとさらに理解が深まると思われた。
■振り返り(2017/03/05)
「シュペングラーやトインビーのような歴史理論ではなく、マルクスのような、自己の経済学から一般性をもつ理論を抽出し、歴史に適用するやり方」とあるが、ヒックスは数量的な分析になじまない古代国家をもその対象とし、慣習と指令という二つの側面から分析するとともに、そこに市場社会がどう関わっていったのかを考察し、都市国家の概念を説明している。これは大胆で面白い制度論であると思う。経済の拠って立つ基礎を抑えつつ、どのように制度が形成されていったのかをよく観察しているが、推論でもある。
一方、数量経済史は、まず何をおいても経験値の集計を出発点にしている。経験値をもとに、これを生活習慣、就業構造、婚姻、文化、衛生、法制度、気象、地理など人間を取り巻くさまざまな変数から説明する。そしてそれらをトータル化して生活史を構成する。
事実がまずあって、これを説明するという立場であり、そこから一般化できる理論を導き出すことはあるが、まず理論があって、という立場はとらないよう禁欲している。そもそも歴史は、例えば疫病の流行など偶然の要素を多く含んだものであり、それらも含めて歴史なのだから、一般化できることによりすべてを説明できるものではないという考え方となる。
ヒックスのような経済史、数量経済史、これらは補完しあうものであると思う。