古井戸秀夫『歌舞伎入門』岩波ジュニア新書、2002年7月
- 作者: 古井戸秀夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2002/07/19
- メディア: 新書
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- 歌舞伎鑑賞にあたっての基本的な視点を身に付けること
- 見所についての作者なりの見方を知りたい
○第一章「歌舞伎とはどのような演劇なのでしょうか?」
- どのような演劇なのか理解するために三つのキーワードがある。
- 1.顔見世
- 2.かぶき
- 3.大芝居
- 顔見世は旧暦の十一月、寒いさなかに行われる。現在では、歌舞伎座が十一月、京都南座が十二月に行う。京都南座の興行は旧暦の十一月に当たる。
- 歌舞伎役者は一年毎の専属契約を結ぶ。顔見世は、契約した役者が勢ぞろいする場である。
- 歌舞伎の台本は、戯曲と異なり、すべて台本のせりふやト書きが役者の名前で書かれる。
- 場面はいっぱいあってもテーマは同じ、悪役によって乱された世の中が、善人の働きにより回復し平和が訪れるというもの。ただし、単純な勧善懲悪ではなく、端役の悪は滅びても巨悪は残るというものである。
- 一番目の大詰めには神霊が現れる。市川團十郎の『不動』などはその代表である。
- 顔見世には必ず雪の場面がある。しかし、その中に梅や桜が開き、春を呼び込もうとしていた。
- 「かぶき者」は徳川の平和な時代に生まれた。無頼の輩が徒党を組み、浮き世で命を軽んじるものたちを「かぶき者」と呼んだ。まっすぐには生きることのできない者たちである。
- 幕府は、遊郭と芝居を一定の地域に囲い込んだ。
- 歌舞伎は一役で魅せるところが西洋の芝居とは異なる。歌舞伎では、同じ主役が、悪人であったと思っていたら善人であった(ぶっかえり、もどり)、正体を隠していた者が正体を顕した(見顕し、名乗り)といった趣向で楽しませている。
- 出雲の阿国が歌舞伎踊りを始めて踊ったのが慶長八年(1603年)である。その後百年間は歌舞伎「誕生」の時代である。
- 次の百年は、野外劇場から室内劇場になり、花道が作られたり、『娘道成寺』『忠臣蔵』など代表的な作品が生まれた。
- その次の百年では、鶴屋南北の『四谷怪談』、河竹黙阿弥の『白浪五人男』など歌舞伎は洗練されていった。
- まず女形が若衆歌舞伎から生まれ、ついで立役、敵役が生まれ、元禄歌舞伎で定着した。
- 歌舞伎では舞踊を「所作事」という。所作とは物まねのことである。
- 歌舞伎と人形浄瑠璃はお互いに切磋琢磨していった。近松で人形浄瑠璃は大成し、その死後、表現力を増すために人形を三人使いとするようになった。大坂の竹本座で、竹田出雲、並木宗輔、三好松洛の三人が『義経千本桜』(延享三年(1746年))、『菅原伝授手習鑑』(延享四年(1747年))、『仮名手本忠臣蔵』(寛延元年(1748年))を作った。この三大名作はすぐに歌舞伎に取り入れられた。
- 昭和41年に国立劇場ができる。これは明治以来の演劇改良運動の悲願の結晶。「通し狂言」の上演を目的とした。国立劇場は、三代目市川猿之助と五代目坂東玉三郎というスターを生んだ。
- 弁天小僧の決め台詞は有名だが、こうした芸というものを家の内部で伝承していった。
- 見得、立ち廻り、だんまりといった演技がある。
やはり次は顔見世の『暫』や松羽目物として『勧進帳』を見てみたい。(11月以降か)