岩井克人『二十一世紀の資本主義論』ちくま学芸文庫、2006年7月

■読むきっかけ

  • 現在暴落してきたドルについて、基軸通貨という観点でその位置づけの重要さを説明していること

■内容【個人的評価:★★★★−】

  • 1991年12月のソ連の崩壊は、世界がアダム・スミスの時代(市場が経済を支配する時代)になったことを意味する。
  • この時代を迎えたときに比較的華やかな成功を収めていたのは、香港・シンガポール・台湾・韓国のいわゆる「四小竜」であった。これらの国の成功について、国家主導の開発政策、儒教の伝統による節約と勤勉、借用技術、華僑の商業ネットワークなどがいわれる。
  • 世界銀行は、東アジアの経済成長は市場友好的な経済政策、つまり国家の役割を最小限に抑えることにより実現したとした。
  • しかし、1997年7月にタイバーツの暴落が起きた。これは、マレーシア、インドネシア、韓国の為替レート、株価、債券の暴落を引き起こしたのみならず98年8月にはロシアをも襲った。次いで99年1月にはブラジルもレアルの暴落を経験することとなった。
  • 当初、経済学者はこの暴落が生じた理由を、残存する市場阻害要因(クローニー資本主義)に求めた。しかし、アメリカのヘッジファンドLTCMの事実上の倒産を迎え、そうした要因ではなく、世界中の金融市場の間で短期的な利益を求めて資金を移動させるヘッジファンドの投機活動の行き過ぎに見いだすようになった。
  • 人は太古の昔から「投機」を禍々しいものだとみなしてきた。値上がりの利益を求めて安く買い、高く売る。これが、今回の通貨危機の原因だと分かり人々は安どした。
  • しかし、投機こそは市場経済の本質的な活動である。市場経済で生産、交換、消費する人々はすべて投機を行っているのである。
  • 理論の正しさは経験からは演繹できない。いや、経験から演繹できるような理論は、真の理論とはなりえない。真の理論とは、日常の経験と対立し、世の常識を逆なでするものである。
  • アダム・スミスの見えざる手の理論ほどこれにあてはまる理論もない。マンデヴィルの言葉を借りれば、「私的な悪は公的な善」というこの枠組こそは真の理論である。これに対して人間はそれほど利己的ではないとか価格はそれほど上下しないとか労働力はそれほど自由に移動できないという批判は的外れの批判である。理論の批判は、その理論が思考せずに済ませていたことを思考することによってのみ可能である。
  • では何をアダム・スミスは考慮に入れていなかったのか。それは投機である。
  • アダム・スミスの末裔であるフリードマンのような学者も、投機家が「安いときに売り、高いときに買う」といった非合理的な行動をしない限りにおいて安定であり、そもそもそうした投機家は存在しないはずだとする。
  • これとは逆に、ケインズは『雇用・利子及び貨幣の一般理論』の第十二章で、美人コンテストを例に出し、予想には「予想の予想」といった連鎖が生じることを論じた。
  • フリードマンの理論は、投機家が生産者からものを買い、消費者へうるという図式を想定している。しかし、現実には投機家は投機家との間でものを売り買いしているのである。こうした市場では、投機家はほかの投機家がどんな予想を立て、どんな行動に走るのかを予想し、それに先駆けて売り買いをすることになる。こうした市場では、実際のモノの過不足とはかけはなれた価格形成をするようになる。つまり、伝統的な経済学は、破たんが生じる原因について非市場的な制度・習慣があることに求めたが、そうしたものがなくても予想の連鎖から破たんが生じるのが市場経済なのである。
  • じつは投機家だけが投機を行っているのではない。分業による市場経済社会においては、生産者も消費者も生産や消費の計画を立てる段階ですでに投機的要素を備えているのである。
  • 専門的な投機家の存在が無視できる市場であればよいが、そうした人びとに支配されている市場がある。代表的なものは「金融市場(債券・株式・外国為替・商品先物)」である。そして市場が効率化されるということは、リスクや時間の売り買いをする投機家が市場に参加することを意味し、市場が効率化されるほど市場は不安定になることになる。
  • 今後もタイバーツの暴落から始まった金融危機は繰り返し起こることになるだろう。しかし、それによってグローバル市場経済が崩壊することはない。真の危機とは何か。それはドルの危機である。
  • 実は貨幣は商品とは違い、ひとからひとへ永遠に受け渡されていくものである。貨幣も無限の予想の連鎖によって成り立っている。この連鎖は商品の価格付けにかかわる連鎖とは性質が異なるが、広い意味での投機であるといえる。
  • 貨幣は商品と異なり、人間の欲望の最終的な根拠であるモノとしての価値を持っていない。そして貨幣なしには市場経済は成り立たない。
  • このことから、市場経済の危機とは貨幣の危機であり、商品より貨幣が選択される「恐慌」ではなく、貨幣の価値が無限に下がっていく「ハイパーインフレーション」こそが根源的な危機であるといえる。
  • ハイパーインフレーションはマクロ経済管理が行き届いている先進資本主義国では起こりえないのではないか、という疑問があるかもしれない。しかし、ひとつだけそうした管理の行き届かない場所がある。それはグローバル市場経済である。
  • ドルについて余剰感が強まり、各国の外国為替市場で売られるようになる。それが一時であれば良いが、全面的に売り浴びせられるようになると、それがアメリカ国内へ向かい、アメリカ製品との交換を要求されるようになる。実物で保有していた方がましだからである。するとアメリカ国内でもたちまちハイパーインフレーションとなる。
  • アメリカがシニョレッジの誘惑に負けてドルを過剰発行してしまった場合には、このハイパーインフレーションが生じかねない。これまで貨幣の過剰発行により経済を混乱に陥れた君主の例は枚挙に暇がない。
  • これを解決するためには、グローバル中央銀行の設立以外にはありえない。中立で公共の利益のために貨幣を供給する機関が必要である。

■読後感
貨幣は投機であり、そのうえで動く市場経済もまた投機である。投機の上にわれわれの暮らしが乗っかっている。