小川忠『原理主義とは何か』講談社現代新書、2003年6月

■読むきっかけ

  • 急進的な原理主義が、さまざまなテロ等の事件の背景にある。そもそも、宗教における原理主義とはどのようなものか。

■内容【個人的評価:★★★−−】
○第一章「比較概念としての原理主義

  • 原理主義という言葉は、人によって使い方が異なる。またこの言葉自体、イスラム専門家には不評である。オサマ・ビンラディンタリバンに付されることが多いが、彼ら自身が原理主義であると規定したことはない。どうやら欧米のメディアは急進過激集団のことを指して原理主義といっている。
  • シカゴ大学のプロジェクトでは、原理主義の特質とは、新しい宗教運動と保守的な宗教要素の混成的な形態であるとしている。
  • 原理主義においては、善と悪、ウチとソトという明確な構図がある。また、聖典の無謬性を強調する。しかし、聖典であるコーランに対する信仰という側面から見ると、ほとんどのイスラム教徒は原理主義ということになってしまう。

○第二章「米国−原理主義の逆襲」

  • 米国民は物質主義の権化のように語られることが多いが、先進国の中ではもっとも信仰心の篤い人々でもある。
  • 合衆国憲法の修正1条では政教分離をうたっているが、しかし政治における宗教的次元は積極的に肯定されてきた。米国民の宗教的意識の背景にあるプロテスタンティズムそのものが原理主義的である。
  • とりわけ9.11以降は、キリスト教原理主義勢力を強め、イスラエル中心の中東再編を目指すネオコンと結びついて米国の外交政策を動かしているという危険な状況を迎えている。

○第三章「エジプト−西欧への憧憬と対抗の果てに」

○第四章「イラン−世界初のイスラーム革命」

  • イスラーム原理主義者は、イスラームを国家運営の基本原理とし、イスラーム法による政治の実現を目指す。しかしスンナ派諸国では、権力を握ったのは世俗主義者だった。初めて世俗主義者から権力を奪ったのはイランである。
  • 1925年、クーデターをきっかけに国王に即位したレザー・シャーはトルコやエジプト以上に性急な近代化を進めた。トルコ同様に西洋服着用やヴェールの禁止を法制化した。しかし、国内の不平等は大きくなっていった。またイスラーム法にかえて、近代的な民法、刑法、商法を制定した。
  • ホメイニーはこうした政権下で何度か逮捕された。石油価格が上昇し、米国を中心とした外国資本の投資も増え、テヘランなどの都市インフラが整備されていったが、いっぽう不平等は大きくなっていった。こうした中、ホメイニーの息子が不可解な死を遂げ、また米国への不信も高まり、反政府運動が起きた。ホメイニーは海外から王政打倒の命令を発し、国王は海外へ脱出、79年2月にホメイニーはイランへ帰還し革命が成立した。
  • 歴史を振り返ると、社会主義とナセルのアラブ民族主義に対抗するためにイラン国王の強圧的な近代化政策を支援した米国の対イラン政策が、ホメイニーのイスラム革命を生み、その波及をおそれてサダム・フセインに肩入れしたことが湾岸戦争をもたらした。冷戦期のイラン外交の失敗がさまざまな形でツケとして回ってきた。

○第五章「インド−ヒンドゥー組織化による多数派の形成」

○第六章「インドネシア−寛容と非寛容の狭間で」

  • 2002年にバリ島のディスコで爆発事件が起き、オーストラリア人など500人以上が死傷した。イスラム過激派による犯行であり、アルカイダのネットワークが東南アジアにも広がったことを示すものであった。

○第七章「原理主義と日本」

  • これまで見てきた国々と比べ、日本は宗教意識が薄く原理主義とは縁遠いとみなされる。
  • 戦前、戦中には、国家神道の成立など、散漫な原理主義の動きがみられた。それは上からの部分もあったが、村落共同体的な組織原理に基づいたものであった。

○第八章「原理主義を越えるために」

  • 善良な青年がいかにしてテロリストに変わるのか。
  • アル・ジャジーラに対して米国は批判的であるが、市民社会形成の基礎をなすことが期待される。市民社会は宗教紛争の抑止効果を持つ。

■読後感
歴史の流れを正確にトレースして現在の原理主義といわれる考え方がいかに形成されたのかを説明している。
原理主義イスラムという考え方があるが、さまざまな宗教において、おかれた環境をもとに、ある種の社会運動であり、対立軸として原理主義が支持を受けている。
外との対話の拒絶の上に原理主義が成り立っている。しかし、そうした態度から望ましい解決は生まれない。