大野正義『これがほんまの四国遍路』講談社現代新書、2007年2月

これがほんまの四国遍路 (講談社現代新書)

これがほんまの四国遍路 (講談社現代新書)

■読むきっかけ

  • 四国には一度も足を踏み入れていないが、昔から人を引き付けてきた八十八カ所めぐりがある。その魅力とはどんなところにあるのか。

■内容【個人的評価:★★★−−】

  • 昭和37年に始まった全国総合開発計画は「国土の均衡ある発展」を目標にしていたが、直近の第五次計画では、「特色ある発展」に力点を置くようになった。
  • それぞれの地域が自分たちのアイデンティティは何かを探り始めている。各地が特色ある取り組みをしている中で、四国だけはインパクトにかける。しかし、四国には他の土地にはない「癒し」があると思われる。四国遍路こそは癒しそのものである。

○第一章「四国遍路はなぜ大流行したか」

  • 今から320年前に眞念という人が『四国遍路道指南』という本を書き、大流行になった。これは宿泊情報など実用的な面を備えた画期的な「ガイドブック」だった。
  • 四国遍路が巡礼の王様となったのは、巡礼すべき札所を厳密に88カ所に限定したということがある。これにより巡礼者は迷うことなく、ある意味では機械的に巡礼できるようになったのである。本来は、弘法大師以来の歴史を持つ四国遍路であったが、これを制度化したのが眞念である。
  • 西国三十三カ所は、四国八十八カ所よりも先に札所を固定化しており、しかもコンパクトだった。しかし、四国の辺境性が元禄の人々を引き付けたのではないか。
  • 現代では、地図上には巡礼道に矢印が付けられ、車巡礼、あげくのはては飛行機巡礼などというものまで登場し、巡礼の濃度が希薄になってきている。
  • 起点霊場霊山寺)と終点霊場大窪寺)が特権化し、非札所にはほとんど収入がなくなってしまっている。

○第二章「四国遍路と日本型セイフティネット」

  • 江戸時代は、神社仏閣への参拝であれば旅行が認められた。四国遍路は、巡礼に名を借りたレジャーだった。しかし生き倒れになった人も大変多かった。理想の死に場所としても捉えられていたのではないか。
  • 修験道のようなプロの通る道ではなく大衆化された道だった。
  • 江戸時代は旅行者を手厚く守っていたが、それは治安の維持のためでもあった。
  • 自分は市役所職員を退職後、平成9年に初めて遍路に出、それ以来、9回遍路に出ている。
  • 四国の人々は親切だが、しかしそれに世話になることを期待していってはいけない。困っているときは手を差し伸べてくれるが、普段は見ないようにして見ているというのが実態に近い。
  • 遍路に出ていると結構な身分であるといわれたりすることがある。しかし、それはある意味本当のことなのである。

○第三章「現代人にとっての四国遍路」

  • 四国遍路は二つのポイントがある。
    • 1.大衆化された巡礼であること→堅苦しい作法は必要ない。
    • 2.お互い様文化の伝統がお接待という形で続いていること→甘えやエリート意識を捨てること。
  • 遍路に宗教の壁はない。また善人や完璧な人は来る必要がない。悪人や中途半端な人こそ来るべきである。
  • 歩くことで足がまともになり、それにより少しまともになれた気になる。

○第四章「遍路歩き」の戦略と装備

  • すべての札所を打ち終えるのにどれくらいかかるか。
    • 1.20〜30代:35日
    • 2.40〜50代:40日
    • 3.60〜70代:45日
  • 3月の初春のころがもっとも歩き安い。
  • 山歩きのベテランでもリタイアを余儀なくされることがある。コンスタントに歩くことが必要。
  • 杖、菅笠が必要。最大の敵は足のマメ、普段履いているものより大きめのスニーカーが良い。荷物の重さは3キロくらいに抑えたい。

○第五章「「道」と「宿」についての考察」

  • 遍路道に決まりはない、省エネ・近道で良い。
  • 難所が珍重されるが避けた方が良い。
  • 古い道に味わいがある。山の裾にそういった道がある。
  • 宿の善し悪しをいうなかれという原則がある。公営の宿が良いというがそれは昔の話である。民宿か宿坊を選ぶのが良い。

■読後感
たしかに巡礼というと堅苦しいイメージがあるが、いまや巡礼者は激増し非常に大衆化しているようである。
農村をのんびり歩くイメージで回ってくることができればいいのではないかと思う。車巡礼もあるとのこと、狭い道なので窮屈か。