大野正義『これがほんまの四国遍路』講談社現代新書、2007年2月
- 作者: 大野正義
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/02/16
- メディア: 新書
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- 四国には一度も足を踏み入れていないが、昔から人を引き付けてきた八十八カ所めぐりがある。その魅力とはどんなところにあるのか。
- 今から320年前に眞念という人が『四国遍路道指南』という本を書き、大流行になった。これは宿泊情報など実用的な面を備えた画期的な「ガイドブック」だった。
- 四国遍路が巡礼の王様となったのは、巡礼すべき札所を厳密に88カ所に限定したということがある。これにより巡礼者は迷うことなく、ある意味では機械的に巡礼できるようになったのである。本来は、弘法大師以来の歴史を持つ四国遍路であったが、これを制度化したのが眞念である。
- 西国三十三カ所は、四国八十八カ所よりも先に札所を固定化しており、しかもコンパクトだった。しかし、四国の辺境性が元禄の人々を引き付けたのではないか。
- 現代では、地図上には巡礼道に矢印が付けられ、車巡礼、あげくのはては飛行機巡礼などというものまで登場し、巡礼の濃度が希薄になってきている。
- 起点霊場(霊山寺)と終点霊場(大窪寺)が特権化し、非札所にはほとんど収入がなくなってしまっている。
- 江戸時代は、神社仏閣への参拝であれば旅行が認められた。四国遍路は、巡礼に名を借りたレジャーだった。しかし生き倒れになった人も大変多かった。理想の死に場所としても捉えられていたのではないか。
- 修験道のようなプロの通る道ではなく大衆化された道だった。
- 江戸時代は旅行者を手厚く守っていたが、それは治安の維持のためでもあった。
- 自分は市役所職員を退職後、平成9年に初めて遍路に出、それ以来、9回遍路に出ている。
- 四国の人々は親切だが、しかしそれに世話になることを期待していってはいけない。困っているときは手を差し伸べてくれるが、普段は見ないようにして見ているというのが実態に近い。
- 遍路に出ていると結構な身分であるといわれたりすることがある。しかし、それはある意味本当のことなのである。
- 四国遍路は二つのポイントがある。
- 1.大衆化された巡礼であること→堅苦しい作法は必要ない。
- 2.お互い様文化の伝統がお接待という形で続いていること→甘えやエリート意識を捨てること。
- 遍路に宗教の壁はない。また善人や完璧な人は来る必要がない。悪人や中途半端な人こそ来るべきである。
- 歩くことで足がまともになり、それにより少しまともになれた気になる。
- すべての札所を打ち終えるのにどれくらいかかるか。
- 1.20〜30代:35日
- 2.40〜50代:40日
- 3.60〜70代:45日
- 3月の初春のころがもっとも歩き安い。
- 山歩きのベテランでもリタイアを余儀なくされることがある。コンスタントに歩くことが必要。
- 杖、菅笠が必要。最大の敵は足のマメ、普段履いているものより大きめのスニーカーが良い。荷物の重さは3キロくらいに抑えたい。
- 遍路道に決まりはない、省エネ・近道で良い。
- 難所が珍重されるが避けた方が良い。
- 古い道に味わいがある。山の裾にそういった道がある。
- 宿の善し悪しをいうなかれという原則がある。公営の宿が良いというがそれは昔の話である。民宿か宿坊を選ぶのが良い。
たしかに巡礼というと堅苦しいイメージがあるが、いまや巡礼者は激増し非常に大衆化しているようである。
農村をのんびり歩くイメージで回ってくることができればいいのではないかと思う。車巡礼もあるとのこと、狭い道なので窮屈か。