バーバラ・W・タックマン『愚行の世界史』朝日新聞社、1987年12月

愚行の世界史―トロイアからヴェトナムまで

愚行の世界史―トロイアからヴェトナムまで

■読むきっかけ

  • 振り返って、明らかに国家の意思決定が国益と反していることがある
  • 国の政策は、さまざまな要素(組織の考え、マスコミの情報)のごった煮のようなものと思われるが、なぜ明らかな間違いを繰り返すのか

■内容【個人的評価:★★★−−】

  • 場所と時代を問わず、歴史を通じてはっきり目につく現象がある。諸国の政府が国益に反する政策を追求する姿だ。人類はあらゆる領域でめざましい発展を遂げてきたが、統治の仕方だけは他の領域と比べるとお粗末な実績しかあげていないように思われる。英知とは経験に基づく判断力の行使だと定義することができるが、統治の領域では、そうした英知や、常識や、役に立つ情報などが、持ち前の力を発揮せず、くじけてしまっている。
  • 悪政には4つの類型がある。
  • この書物では4番目の形態を取り扱う。
  • 愚行と規定するためには三つの基準がある
    • 1.後世から見て益にならないのではなく、当時の観点からも益にならない
    • 2.実行可能な選択の道が残されている
    • 3.統治者個人の政策ではなく、グループの政策である
  • 愚行は権力の落とし子である。権力の総合的責任とは国家と国民の利益になるよう理性的に統治することである。この過程では、状況に通暁し、情報に注意し、知力と判断力を公平に保つことである。政策が害になると分かったときに覆せるほど賢明であれば最高の統治である。

○第二章「愚行の原型」

  • トロイアで、木馬を城内に引き入れるという愚行があったが、引き入れる前に内部で忠告が何度もなされていた。したがってこれは宿命でなく自由な選択の結果である。

○三章「法王庁の堕落」

  • 6人のルネサンス法王の愚行は、利益を損なう政策の追求というより自分たちの立場を改善し、高まる不満を抑えてくれる政策を排斥したところにある。また濫費と個人的利益に対する固執も原因である。また、自らの権力と身分が不可侵であるという幻想を持ってしまった。

○四章「大英帝国の虚栄」

  • イギリスの愚行は、法王の愚行ほどには頑迷ではなかった。アメリカを失うことはイギリスにとって致命的であったが、英国人の優越感が邪魔になり相手を過小評価してしまった。

○五章「ヴェトナム戦争

  • ジョンソン政権が始め、遂行した戦争は、大義に欠け、無駄な忍耐を強い、究極的には自国を損なうもので、いい所が全然ないという点では稀有な愚行であった。結果はすべて有害であった。
  • 厄介事より他にいい所は一つもない悪い状況を引き継いだニクソンキッシンジャーは「すでに失敗したことは繰り返すな」の教訓を壁にでも貼って、この問題をよくよく考えてみればよかったのだ。
  • アメリカは自国は万能であるという幻想を持っていた。
  • 愚鈍、つまり「事実で私を混乱させないで」という心的傾向はどこでも見られる愚行だが、ヴェトナムをめぐるワシントン上層部にはこの現象が際立ってみられた。
  • 近代兵器で武装したフランス軍をディエンビエンフーで打ち破った気力と能力、その後の戦いの経過を無視してしまった。
  • 南ヴェトナムに過大な期待を抱いていた。非共産主義=自由であり、自由な国は強いという錯覚を抱いてしまった。
  • 目的と効果の関係、損失と利益について理性的な思考が欠けてしまっていた。

○エピローグ「船尾の灯」

  • 人間の思考の構造は、前提から結論に至る論理的順序に基づいてはいるものの、それは弱さや情熱に抵抗できるというわけではない。
  • トロイア人が朝目を覚まし、ギリシアの全軍が消えて、城壁の下で奇妙で巨大な怪物だけが残されているのを見いだしたとき、合理的な思考が働いて、策略ではないかと疑ってみよと忠告したのは明らかである。少なくとも敵がいないか調べてみるべきであった。
  • 法王は理性を使う習慣はあまりなかったのであろう。足元に渦巻く洪水のような不満に気がついていればと思われるが、現世的、世俗的な彼らはそうしたことに警戒感を抱かなかった。
  • 植民地アメリカとヴェトナムの両方についていえば、採られた一連の措置はあまりにもはっきりとした先入観を持った固定的態度によるものであった。
  • 政治的愚行にもっとも大きな影響を持つのは権力への欲望である。ジェファソンは、人が地位にものほしそうな視線を投げたとき、すでにその行動は腐敗し始めているといった。
  • 過度の権力もまた愚行の原因となる。プラトンは、共和国の哲人君主というすばらしい着想を得た後で、それに疑念を持ち始め、法律が唯一の安全装置であるという結論に至った。
  • 心的行き詰まり、または静止状態−支配者や政策立案者たちが、当初の考えを手つかずのまま維持すること−は、愚行のための肥沃な土壌である。
  • 経験からほとんど学んでいない。サミュエル・コールリッジは、経験は船尾の灯火であって、背後の波を照らすばかりである、情熱と党派心が我々の目を見えなくする、と嘆いた。
  • 野心や腐敗や感情が揮う支配的な力を考えると、より賢明な政府をつくる場合、まず性格の試験をすべきかも知れない。試験しなければならないのは道徳的勇気である。モンテーニュは、「決意と勇気。野心によって研ぎすまされる勇気ではなく、英知と理性が秩序ある魂の中に植えつける勇気」と付け加えた。

■読後感
なぜ愚行は繰り返され、経験から学ばないのか。権力や富への欲望が本来採るべき方向から目をさらさせてしまう。また、根拠のない過信がさらに目をくもらせてしまう、ということのようである。
したがって政策決定者は、歴史に学ぶとともに、勇気を持って正しい方向に努めることが必要である。