鈴木晶『バレエの魔力』講談社現代新書、2000年5月

バレエの魔力 (講談社現代新書)

バレエの魔力 (講談社現代新書)

■内容【個人的評価:★★★★−】

  • がんの闘病記を綴った千葉敦子さんは、亡くなる少し前にリンカーンセンターにシンデレラを見に行っている。ヌレエフ版シンデレラはお世辞にも傑作とはいえない作品であるが、死期の迫った人が体調の悪い中でも出掛けたいと思う、そんな魔力がバレエにはある。
  • また、淀川長治さんは、大正11年にアンナ・パブロワの来日公演で『瀕死の白鳥』を見て涙が止まらず、手持ちのありとあらゆる本を古本屋に売ってお金をつくり、公演の2回目を見に行ったことを述懐している。
  • オペラもバレエと同じような魔力を持っている。堀内修『初めてのオペラ』では、冒頭からいきなり「オペラを見るな」という。それはオペラが麻薬に近いものであるからであるという。
  • オペラとバレエの魔力は性質が異なる。この本を通じてバレエ独特の魔力を分かってもらいたい。最初に言ってしまうと、バレエの魔力の源泉は人間の肉体の持つ、無限と思われるほどの表現力にある。

○第一章「おじさんたちよ、バレエを見よう」

  • どうしてこの本を書いたかというと、おじさんたちにバレエを見てほしいからである。
  • バレリーナは日常生活からかい離している。生活臭さをまったく感じさせない存在である。
  • 日本の場合、バレエがオペラほど「高級」と見なされていない最大の原因は、日本ではバレエが劇場芸術としてよりむしろ「お稽古事」として普及したことである。
  • 日本でも男性バレエファンは以前に比べ多くなってきたが、欧米に比べるとまだまだで、ニューヨークのビジネスマンのパーティではニューヨーク・シティ・バレエの新作が話題になるが、日本のビジネスマンはゴルフと野球の話しかできない、といった状態である。
  • バレエはビデオなどで見るよりもぜひ会場に行ってみてほしい。ダンサーと観客に一体感があるライブの方が感激が大きいはずだ。
  • 何を選んでみるべきか。最初であれば、ストーリー性のある演目を薦めたいが、それよりどのバレエ団の演目かということが重要である。よっぽど義理がない限り、小さいバレエ団ではなく、実力のある大きなバレエ団の公演を選んで見に行くべきだ。
  • バレエを見るためにヨーロッパに行くのもいいだろう。しかし、バレエを見るには世界最高の場所とは、実は東京である。
  • では、バレエは誰と行くべきか?恋人−NO、親友−NO。何と行っても身近なバレエ好き、同好の士と行くのが一番である。また身近にそういう人がいなかったら無理に人を誘わず、一人で行くほうがよい。
  • どんな服装?それは、ひとそれぞれ自分の好きないでたちでよいのだ。普通の格好でいい。しかし、バレエを見に来る人はみんな夢を見に来るのだから、不快感を誘うような服装はするべきではない。
  • オペラグラスはぜひ持って行ってほしい。

○第二章「バレエはどこから来たのか」

  • バレエはヨーロッパで生まれ育った芸術であるが、15世紀に一度生まれ、これが19世紀に生まれ変わった。
  • バレエは最初はルネサンス期に生まれた。ヨーロッパのほとんどの芸術の根底には古代ギリシャ・ローマの芸術があると考えて間違いないが、バレエ自体はギリシャ舞踊の復興として、しかしながら実態としては宴会の出し物として生まれた。これは、民衆の間で広まっていた踊りを金持ちが取り入れたのである。舞踊に特化していたわけではなく、劇や音楽や詩の朗読などからなるバラエティ・ショーだった。
  • 16世紀前半にメディチ家の娘カタリーナがフランスの宮廷に嫁に行ったとき、料理人と舞踊家を連れていった。それ以降、バレエはフランス宮廷を中心に発展していくこととなった。(余談ながらフランス料理もこのときにカタリーナの連れていった料理人のつくるイタリア料理が進化したものである。)
  • 宮廷の人々、王や貴族は自らバレエを踊った。つまり最初は「見るもの」でなく「踊るもの」だったのだ。あの太陽王ルイ十四世も自らバレエを熱狂的に踊ったのだ。
  • ルイ十四世にとってバレエは人生最大の関心事だった。しかし、太って踊れなくなり、貴族たちも踊りを控えるようになり、オペラに関心が移っていった。
  • この当時、すでにバレエのすべての基本であるアン・ドゥオールや五つのポジションが確立しており、バレエの基本は出来上がっていた。
  • バレエの特徴は何?と聞くとすぐ返ってくる「つま先立ち」=ポワント技法は、19世紀のはじめに生まれたテクニックである。これを広めたのはマリー・タリオーニという19世紀で最も有名なバレリーナである。彼女がこれを始めるとみんなマスターするようになっていき、バレエの最大の特徴となった。
  • なぜポワント技法が生まれたのかよく分からないが、ピルエット(くるくる回ること)が発達した結果、回りやすさにつながるポワントが利用されたのではないかといわれる。最初はポワントで自立することは難しいため、上からワイヤーで吊っていた。
  • 当時も今も、ポワントを行うのは女性だけである。当時の美学から見て、つま先立ちの女性は美しく、男性はそうではなかった。男性には力強い跳躍が求められた。
  • ポワントを使った本格的なバレエ第一号は『ラ・シルフィード』である。これは現在上演されている作品の中でもっとも古い。この作品がその後のバレエの方向性を決定づけた。その方向を「ロマンティック・バレエ」という。『ジゼル』もこの方向の代表となる演目である。
  • ロマン主義とは何か。18世紀は啓蒙思想の理性信仰が中心だったが、ロマン主義では、非現実性だとか、固有性が重視され、躍動や非均衡に美を見いだしていった。
  • バレエにおけるロマン主義は、
    • 1.超自然志向:やたらに妖精や魔女が現れる
    • 2.エキゾティズム:パリを舞台とせず、スコットランド、スペイン、南米、東欧などが舞台となる である。
  • こうした『ラ・シルフィード』、『ジゼル』など現在のわれわれが見るバレエの形式の完成がバレエの二度目の誕生である。
  • ロマンティック・バレエは、19世紀半ばには急速に衰退した。それはなぜか?マンネリ化である。
  • またこの時代、ヴィクトリア朝時代は、産業革命が進んで金持ちがバレエの踊り子と交渉するといったこともあり、単刀直入にいうと、芸術性などどうでもよくなってしまったのである。
  • こうしたことは産業化が進んだパリやロンドンでのことであり、デンマークやロシアでは事情が違った。デンマークでは、最盛期のロマンティック・バレエの伝統が今でも守られている。また、ロシアでは、19世紀の終わりに新しいスタイルのバレエを生んだ。それはクラシック・バレエである。
  • 今の人は、トゥ・シューズを履いて踊るバレエはすべてクラシック・バレエと勘違いしている人も多いが、本来の意味のクラシック・バレエ19世紀後半に生まれた新しいスタイルのバレエを指していう。
  • ロマンティック・バレエの代表作は『ジゼル』であり、クラシック・バレエの代表作は『眠れる森の美女』である。
  • 両者はどこが違うのか?ロマンティック・バレエは、演劇的でストーリーに重きがおかれる。これに対し、クラシック・バレエはストーリーと踊りを分離して、ストーリーはマイム(しぐさ)で進行し、その合間にストーリーとは直接関係のない純粋な踊りが挿入される。このため、ストーリーはおとぎ話のような誰でも知っているものが使われる。
  • また、ロマンティック・バレエでは幻想的な、あるいはエキゾティックな雰囲気が重んじられるため、繊細な動きが重視されるが、クラシック・バレエではむしろテクニックが前面に出る。
  • 衰退したロマンティック・バレエ、たとえば『ジゼル』のような作品が今でも演じられるのはなぜか。それは、ロシアに輸入されてなんとかロシアで命を保ったからである。しかし、ロシアで上演される中で、クラシック的に変えられており、実はわれわれは変形版の『ジゼル』を見ているのだ。
  • テクニック重視にしたがって、チュチュの長さは短くなっていった。
  • バレエについては、フランスもロシアも「うちが本家」と譲らないが、いろいろな意味でどちらとも言えない。古いバレエはすべてロシア経由で輸出されたがもとをたどるとフランスから輸入しているし、じつはクラシック・バレエのスタイルを確立したのはフランス人のマリウス・プティパである。この人はバレエ史上もっとも重要な振付家である。プティパは、『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『ラ・バヤデール』『海賊』『ドン・キホーテ』などたくさんの作品を残し、ロマンティック・バレエにも彼の手が入っているものが多い。
  • プティパの特徴は何か?それは大規模で長いことである。たとえば『眠れる森の美女』を見に行くときは覚悟が必要である。
  • 彼は、演劇性よりも舞踊性に重きをおいた。ソロ、数人による踊り(パ・ド・ドゥなど)、群舞があるが、なんといっても傑出したスタイルはグラン・パ・ド・ドゥである。
  • グラン・パ・ド・ドゥは、アダージョ、男のヴァリアシオン、女のヴァリアシオン、コーダからなる。アダージョでは、主に女性が踊り、男はその引き立て役に徹する。ヴァリアシオンというのはソロである。最後のコーダは、早いテンポの音楽で、それぞれが高度なテクニックを披露する。
  • バレエ公演は、以下のように分けられる。
    • 1.長い作品を一つ上演する
    • 2.短い作品を二つ三つ上演する(ミックス・プロ)
    • 3.小品を集めたバレエ・コンサート(お祭り的な催しは「ガラ」と呼ばれる)
  • バレエ・コンサートやガラで踊られる小品のほとんどはたいていグラン・パ・ド・ドゥである。
  • ロマンティック・バレエクラシック・バレエも主役はすべて女性である。
  • 20世紀に入ると、プティパのスタイルに反発する若者が登場した。ミハイル・フォーキンは、プティパの『ラ・バヤデール』で、幻影の場という、アヘンを吸っていると女性ダンサーが現れるシーンがあるが、こうした流れは荒唐無稽でおかしいのではないかと異議を唱え、またプティパのバレエは長すぎると別のスタイルを模索し始めた。
  • これにセルゲイ・ディアギレフというプロデューサーが目をつけ、パヴロワやニジンスキーを連れてパリに行き、フォーキンの新しいバレエを紹介し、歴史的な大成功を収めた。
  • このロシアのバレエ団により、バレエを低俗と感じていたヨーロッパの人々は、すばらしい芸術であることを理解した。気をよくしたディアギレフは、ロシアの帝室劇場につとめるダンサーを引き抜いて一団を結成した。これが「バレエ・リュス」(ロシア・バレエ団という意味)である。
  • バレエ・リュスのバレエの歴史における意義はいくら強調してもしすぎるほどがない。バレエ・リュスにより、いったんは西欧で死んだバレエが息を吹き返したのである。このバレエ・リュスのために、ドビュッシーリヒャルト・シュトラウスエリック・サティ、ファリャ、ストラヴィンスキープロコフィエフが曲を書いた。また、舞台美術を、ピカソマティスローランサンユトリロ、ミロ、ブラック、キリコ、ルオーが担当したというのだから凄い。ピカソはバレエ・リュスに入れあげ、ダンサーと結婚した。シャネルが衣装を担当したときもあった。
  • バレエ・リュスの上演作品は、実験的・前衛的であり、このため皮肉にも現在まで残っている作品は少ない。
  • バレエ・リュスは、「バレエの主役は女性」という方向を転換した。また、カリスマ的なダンサーとしてニジンスキーが現れた。彼は空中に飛び上がって静止したとまでいわれるほどのテクニックの持ち主だった。(彼が舞台で活躍したのはほんの10年ほどである。その後は30年間精神病者として過ごし、60歳で亡くなった。)
  • バレエ・リュスは、ディアギレフの死とともに自然解散した。解散で世界に散っていった振付家やダンサーが、オペラ座バレエの再建を行ったり、ロンドンのロイヤル・バレエ団、ニューヨーク・シティ・バレエアメリカン・バレエ・シアターを創立した。
  • ではロシアのバレエはどうなったのか。1920年代はロシア・アバンギャルドの全盛期で、実験的・前衛的な試みがなされていった。しかし、スターリンの登場により、抽象的な芸術が禁止され、大衆にとってわかりやすい芸術以外はダメということとなった。この時期に、そうした影響もあり『白鳥の湖』の結末がハッピー・エンドに作り変えられてしまった。いっぽうプロコフィエフの『ロミオとジュリエット』のような演劇的なバレエも生まれた。これは20世紀を代表する名作である。
  • バレエ・リュスが生まれる前に、モダン・ダンスが創始された。はだしで、ゆったりした衣装で「自然」「自由」を目指した踊りだった。二次大戦後、パリにローラン・プティモーリス・ベジャールという天才的な振付家が出現した。ベジャールは、20世紀最高の振付家といえる。モダン・ダンスの要素をクラシック・バレエに取り込んでその表現力を一気に広げた。
  • いっぽう、ジョージ・バランシンは、バレエの演劇的要素を捨て、音楽と共鳴する純粋な幾何学抽象バレエの様式を完成させた。

○第三章「何をどう見たらいいのか」

  • 1『白鳥の湖
    • バレエの代名詞的存在である。歌舞伎にも『鷺娘』という作品があるが、女性と鳥のイメージを重ねあわせ、幽玄の美を見いだすという美意識が根底にある。
    • 音楽は『眠れる森の美女』や『くるみ割り人形』にくらべるとシンフォニックで重厚である。
    • もととなる昔話があるわけではない。ストーリーもチャイコフスキーが書いたらしい。
    • 1877年にモスクワのボリショイ劇場で初演されたが、その後1895年に、プティパ・イワノフ版として再上演された。後の版はすべてプティパ・イワノフ版をもととしており、実質的な初演であったといえる。
    • このバレエはロマンティックか、クラシックか?簡単にいうと、内容はロマンティック、形式はクラシックである。
    • バレエ団の構成は、トップにプリンシパルオペラ座の場合にはこの上にエトワールを置く)、次いでソリスト、その下にコール・ド・バレエを置く。しかし、コール・ドは未来のスターもいれば、群舞自体がバレエの重要な要素でもある。
  • 2『ジゼル』
    • 全二幕で、第一幕よりも第二幕の方が良くできている。前半は現世、後半は異界という構成である。
    • 一幕の終わり、ジゼルが狂乱のあまり心でしまうシーンがある。これを剣で自分の胸を刺す演出と、心臓麻痺で死んでしまう演出に分かれる。正確には後者が正しい。ジゼルは快活だが心臓が弱いという設定なのだから。
    • 足音がバタバタ聞こえるようではいけない、この世ならぬ存在なのだから。それがひどければバレエ団の水準もそれほど高くない。
  • 3『眠れる森の美女』
    • プティパの確立したクラシック・バレエの集大成。非常に長いのが特徴。
    • 主役のオーロラ姫には、個性ではなく、上品さ、可愛さが求められる。オーロラのイメージにぴったりのバレリーナが演じると花が咲いたようになる。
    • 求婚者のあいさつをポワントのアティチュードで受ける。この場面は、派手でも華麗でもないがベテランでも緊張する難しい技である。
  • 4『くるみ割り人形
    • 上演回数がもっとも多いのではないか。聞き慣れた曲が多い。しかし、子供向けとしてはよくできているが、本格的な踊りがない。
  • 5『ロミオとジュリエット
  • 6『コッペリア
    • 音楽がすばらしい。チャイコフスキーはこれを聴いて、自らもバレエ音楽をつくろうと志した。
    • 原作はこわい話だが、バレエの方は軽い喜劇となっている。スワニルダの「人形ぶり」が見もの。
  • 7『ドン・キホーテ
    • 初心者には最適のバレエで、要所要所の決めが見どころ。
    • 音楽は二流、あまり期待してはいけない。
  • 8『海賊』
    • ストーリーはめちゃくちゃで音楽もひどい。
    • オリエンタリズムのために人気が高いのではないか。何も考えずに楽しめるような作品。
  • 9『ラ・バヤデール』
    • オリエンタル・バレエであるが、『海賊』にくらべずっとシリアスで作品の格も上である。プティパの代表作の一つ。
    • 金粉をまぶしたブロンズ像の踊りがある。熊川哲也はロイヤル・バレエ公演でこの役をつとめ、その跳躍力で日本の観客を仰天させた。公演が終わったとき、観客は熊川の跳躍だけが記憶に残った。

○第四章「バレエの本質とは」

  • 映画『shall we ダンス?』ほどダンスの魔力を描いたものは他にない。
  • バレエの基本的な動きを詳しくみてみよう。
    • 1.アン・ドゥオール
      • すべての技法の基本。両足を外へ180度開くこと。これはバレエをやっていない人にはほぼできない。(試しにやってみようとすると足を傷めてしまう。絶対にやらないでください。)小さいときからやっていないとこれはできない。
      • アン・ドゥオールは何を意味するのか?それはバレエの開放性である。
    • 2.ピルエット
      • なぜバレエ・ダンサーはくるくる回るのか?回転は日常的にはしない動作である。非日常性を象徴している。『ロミオとジュリエット』のロミオの回転、『白鳥の湖』の32回のフェッテ、これらはすべて歓喜の表現である。
  • バレエを見るときには、対象への移入という感情が起きる。見る自分がいながら、ダンサーの中に入り込む自分がいる。ビデオの場合はこうしたことが起きにくい。だからナマで見るに限るのだ。
  • クラシックやオペラの好きな人は、なかなかバレエを見ようとしない。音楽的にレベルが低いということ、ストーリーが幼いという理由からである。しかし、バレエは聴くものというよりは見るものである。すばらしい踊りに見入っていると音楽は消えてしまう。また、物語もバレエにおいてはオペラと異なり、あくまでも踊りのためにしつらえられたものに過ぎないのである。

○第五章「現在から未来へ」

  • 世界のバレエ団
  • 日本のバレエ:影響力の大きいバレエ団としては以下のものがある。
  • 日本のバレエ界における最大の話題は、天才ダンサー熊川哲也の出現であろう。ロイヤルバレエ団でたちまち頂点までのぼり詰め、1998年に退団し自分の一座を結成した。彼は、日本が生んだ史上最高のダンサーであるといって間違いない。
  • 日本は今やバレエ大国であり、海外の一流バレエ団も数多く来日する。しかし、大きな問題を二つ抱えている。
    • 1.バレエ教育:海外にはある資格認定制度がなく、いい加減な教師も多い。それがないとバレエ教育のレベル向上は望めない。
    • 2.振付家がいない:テクニックで追いつくことばかりに気をとられ、「バレエを作る」ことをしてこなかった。このため、観客は創作はつまらないという思い込みをもつようになり、ますます振付家が育たなくなっている。考えるダンサーが必要。