森真一『ほんとはこわい「やさしさ社会」』ちくまプリマー新書、2008年1月

ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書)

ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書)

■読むきっかけ

  • たまたまそうした環境にあるせいなのか、「やさしさ」が強要される「無言の圧力」を感じたり、お互いに注意できない社会が形成されていることを感じることがある。

■内容【個人的評価:★★−−−】

  • 現代社会では、やさしさが人間関係のルールとなっている。しかし、それがかえってこわい現象を引き起こしている。ルールに従わない人に対しても、反発が怖くて注意もできない。これがやさしさ社会になったからというのが本書の仮説である。

○第一章「やさしさを最優先する社会」

  • 現代のやさしさは、「やさしいきびしさ」から「きびしいやさしさ」へシフトするとともに、「治療的やさしさ」から「予防的やさしさ」へシフトしている。
  • あだ名やケンカもなくなってきているようだ。
  • 公式のルールを守ろうとすると、非公式のやさしさルールに駆逐されるようになってきている。

○第二章「きびしいやさしさの特徴」

  • いつの間にか対等原則が支配している。定着した言い回しとして「上から目線」という言葉がある。これは対等性にこだわっていることを意味している。
  • 偏差値でもプラスマイナス5までの人間は仲間だがそれ以外は仲間ではないという意識もあるようだ。少しの間でも上下関係になりたくないという意識がある。趣味が違うからといった横の差異は認めても、縦の差異は認めたくないのだ。
  • 自慢話はもってのほかである。そんなことをしたらすぐ「自己チュー」のレッテルが貼られる。
  • 「キャラ」という言葉が使われる。「キャラがかぶる」はとくに女の子の間ではご法度である。かぶった人どうしは比較されてしまうためである。上下関係は作らず横の違いだけにするという暗黙の了解がある。

○第三章「どうしてやさしさルールはきびしくなったのか?」

  • 以前は人生一度きりという考え方はそれほど強くなかった。今では自己が神聖化され、自分のためだけに生きるようになってきている。
  • 人生を楽しみ尽くす、自分の能力はすべて発揮する、という考え方が現代人に広く行き渡るようになってきている。
  • イベント化したスポーツを楽しまないと非国民と非難する。場の空気を読めというルールが働いている。
  • 能力開発への情熱が、さまざまな「低下」を強調する世相につながっている。

○第四章「やさしさ社会のこわさ」

  • 人を腫れ物、こわれものとして扱うようになっている。
  • こんな流れがある。
    • 1.バカにされないように周囲に気を配る
    • 2.そういう自分に無力感やふがいなさを感じる
    • 3.負け惜しみの感情からささいなことにキレる
    • 4.キレた自分を反省する
    • 5.そんな自分を弱いと感じる
    • 6.負け惜しみ
  • 予防的やさしさは「〜しないやさしさ」である。特急車内で起きた強姦事件、誰もが見ないようにしていた。
  • 毒舌が受ける、とはいうが毒舌を振るう人はそんなにいないはずだ。
  • ネットいじめも深刻である。
  • 電車の中は、公式ルールを守る人と非公式ルールを守る人の臨戦状態である。

○第五章「気楽なやさしさのすすめ」

  • 人生楽しいことばかりではない。楽しさ至上主義は人をあせらせる。
  • また、やさしいから虐待が止まらない。
  • やさしさより、気楽さ、気軽さを持とう。気軽に失敗し、気軽にあやまり、気軽に許そう。

■読後感
最後のまとめ方が納得行くものだったかは別として、現代流行している言葉を通じて、いまの社会の「きびしいやさしさ」や「上下関係の忌避」などを巧みに解説している。
能力開発については、まっとうなものと、著者の指摘するものが概念として混在している印象。少しより分けて「〜の能力開発」くらいにした方がよかったのではないか。
「○○の条件のもとでの△△」くらいに限定した方が、理論が説得力を増すのではないかと思われた。ただし、この本は着眼点と観察力がすばらしい。