塩原俊彦『ビジネス・エシックス』講談社現代新書、2003年12月
- 作者: 塩原俊彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2003/12/21
- メディア: 新書
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- 日本経済新聞社で2003年初めに、3月の株主総会で代表取締役社長の解任を提案するというクーデターが用意されているという話がマスコミに伝わった。この提案は圧倒的多数で否決されたが、経営者の腐敗を社員が告発する(ホイッスルブローイング)という行為を通じて、社員の倫理観というものを再考する機会となった。
- 現在、内部情報提供者の権利擁護を法制化する動きがあり、ビジネスエシックスを学問として考える必要性が高まっている。
- 「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」という近江商人の考え方など、日本にもむかしから企業倫理の考え方はあるが、グローバリゼーションの一環として米国流の投資家重視のビジネス運営とのかかわりで「倫理」をどう理解するかということが求められている。
- 「契約関係」は当事者間の対等な関係を前提としており、情報の非対称性を特徴とする関係(医師と患者など)を包括的に規定することはできない。こうした関係は「信認義務」のもとに受認者の責任を明らかにした上で結ばれなければならない。
- 岩井克人が述べるように、株式会社と会社経営者の関係では代理契約はあり得ない。この場合は信認関係となるわけだが、信認関係とは契約関係に潜む欠陥を意識的に克服するための仕組みであるともいえる。新聞記者と読者の間にもこの信認関係がなければならない。
- 情報をもった生産者と消費者との間には「信認関係」を積極的に認め、生産者側に厳しい倫理を求めることが必要であると考えられる。
- 米国流のビジネス・エシックスにおいては、信認関係は限定的にしかとらえられていない。
- 日本では信認関係という考え方が理解されておらず、ビジネス・エシックス自体理解されるとは思えない。
- 日本ではプライバシーが軽視されており、セクシャル・ハラスメントも低次元である。
- 日経の取締役についてもビジネス・エシックスは皆無だった。また社長の前では全く無力な人間に過ぎなかった。
- 新聞社も上場した方がよいのではないか。
- 従来、日本においては契約が重視されず、根回しという慣行で機能してきた。
- 死を意識しつつ生きることが本当の意味で「個人」を取り戻すことにつながる。
- 最近内省力の弱さを感じる。相手を想定し、自分の考えを文字にすることが有効である。