木村剛『日本資本主義の哲学』PHP研究所、2002年9月

日本資本主義の哲学―ニッポン・スタンダード

日本資本主義の哲学―ニッポン・スタンダード

■内容【個人的評価:★★★−−】

  • 「(アメリカ経済は)動機づけと罰則を通じて、経営者の行動を変えるーこういう発想が彼らにはある。単なる財政政策や金融政策ではなく、どのような経済システムにするのが望ましいかという観点がある。「ルールの束」をどう設計するのかという感覚がある。どう資本主義を制御していくのかという発想がある。」(21ページ)
  • 「「経済分析」は、フェアウェイを外れた経済の軌道を修正するための具体策を提示してこそ価値が認められるものである。「経済分析」とは、人々がいかに豊かで幸せな生活を送るかということと、経済生活の実務を仲介する知的作業なのだ。したがって、人々の生活や企業の行動、そして生活や行動を取り巻く「ルールの束」に対する深い洞察と、実行可能かつ有効な経済政策の二つがともに具備される必要がある。」(64ページ)
  • ルールの適正かつ自在のコントロールについて、どのような形態の組織であれば実現可能なのかを思い描く必要がある。一定の規模の専門家集団(全体としての方針をふまえた専門家集団)としての官僚組織があり、かつ、自己維持的な性質を有しない組織であることが求められるだろう。
  • 「たしかに、日銀がインフレを起こすことができるという点については正しい。しかし「インフレにできる」ということと、「インフレをコントロールできる」こととは異なる。「インフレにすることはできるが、コントロールできない」ところに政策実務上の悩ましさがあるのだ。」(76ページ)
  • 地方自治体においては基本的に「経済のルール」を管理する立場にはない。経済に対し、一定の補助金支出やアドバイザー、マッチング機能などがあるだけだ。何に傾注すべきか?実態をふまえた作用とは?
  • 「誤解を恐れずにいえば、問題ゼネコンが会計処理を甘くして生き残り、健全企業が会計基準を厳正に適用している結果、苦戦を強いられるという惨状になっている。」(137ページ)
  • 「大失敗した大企業が生き残り、中小企業は淘汰される。まっとうに頑張った人が勝ち残れない。これはどう考えてもまっとうな資本主義ではない。」(147ページ)
  • ロールズは手続き的正義という考え方に従いながら、正義の本質は「公正」(=FAIRNESS)だとみなすとともに、「公正としての正義」という手続き的概念を、社会秩序自体の正義の問題に適用しようとした。」(190ページ)
  • 「経済や金融に関する私の主張や評論は、多方面にわたっているように見えるが、突き詰めると、すべてこの「ルールを守る」という点に集約されるといってよい。」(192ページ)
  • 「(株式会社という組織は)悪意を持った当事者が詐欺を働けば、きわめて危うい凶器になる。だからこそ、「資本の本性」を体現する制度である株式会社に関しては、「ルールの束」で制御する必要がある。社会的に制御する装置が必要になるのである。じつは、それが会計制度なのだ。」(195〜196ページ)
  • 「本来の資本主義においては、まずミッションがあるというところから始まる。そして、そのミッションを実現させるために、戦略がある。ミッションと戦略が正しいからこそ儲けがあるという思想が本来は底流にある。」(210ページ)
  • 「保守というのは変革するものである」(エドモンド・バーク
  • 佐和隆光氏は、「今、私たちに求められているのは、日本資本主義体制をアメリカ型資本主義体制に改編することのように思えてくる。・・・アメリカ型資本主義を理想として掲げることに、異論を差し挟むつもりは毛頭ない」(『漂流する資本主義』)と断ったうえで、賢明にも、「しかし、資本主義の『型』を改編することにより流されるであろう大量の血を、経済効率化の代償として見捨てておいていいのかどうかである。」」(211ページ)
  • 「新しい日本資本主義=「ニッポン・スタンダード」
    • 1.感謝(経営者による株主への感謝)
    • 2.自律(経営者による自治、自律した管理職と自律した従業員)
    • 3.互助(自律した管理職と自律した従業員による助け合い)
  • 米国資本主義=荒々しい「資本の本性」が剥き出しの資本主義
    • 1.支配(株主による経営者の支配)
    • 2.服従(経営者に対する従業員の服従)
    • 3.命令(経営者による従業員に対する命令)」(217〜218ページ)
  • 「従来型の性善説システムでは日本企業における不祥事リスクは膨張しつづけるだけだ。そうであるならば、性悪説を前提としたシステムをうまく取り入れるほかはない」(220〜221ページ)
  • シュンペーターは、一世紀すら短い期間であるという遥かに長い時間軸をとれば、人間の欲望と技術は飽和状態に向かっていくと想定している。・・・そうなれば、置き換えや買い替えの投資機会しかなくなっていく。・・・資本主義は成功し、投資機会が消滅するにしたがって、官僚的な色彩を帯びてくる。・・・個々の企業は官僚化された巨大な産業体へと化していき、社会的な経済計画を作成し運営することと変わらなくなっていく。・・・そうなったとき、資本主義は崩壊し、社会主義に移行するというのだ。」(286〜288ページ)