石原千秋『未来形の読書術』ちくまプリマー新書、2007年7月

未来形の読書術 (ちくまプリマー新書)

未来形の読書術 (ちくまプリマー新書)

■内容【個人的評価:★★−−−】

  • 落ち着いて本が読める、とはどういうことだろうか。それは周りが気にならないということだ。しかし、騒がしい電車の中がもっともよく落ち着ける場所であるということなどもあり、よく考えると、自分を忘れて本に没入できる、ということがもっとも大切なのだとわかる。

○第一章「本を読む前にわかること」

  • 本をもっとも集中して読むのはいつか?それは本屋で立ち読みをしているときである。では、そのときどうすると買おうとするのか?それは「読めばわかる」と思うからであり、そうした認識を持ちうるのは、自分とはどんなものかを知っているからでもある。
  • 読書には知らないことを知るという未来形の自分を求めてのものもあれば、過去形の自己確認のための読書もある。

○第二章「小説とはどういうものか」

  • 江戸時代に文学といわれていたのは、和歌と漢詩だった。しかし、明治になって、坪内逍遥が、日本の戯作が西洋で文学の一つとされている「小説」に似ているから、戯作を改良して小説にしようとしたのである。文学についてきちんとした定義はなく、2ちゃんねるの書き込みである『電車男』も文学だということになっている。

○第三章「読者はどういう仕事をするのか」

  • 小説というものは、いわば穴ぼこだらけで適度に省略を行っている。これにより読者は自分ですき間を埋めることになる。

○第四章「「正しさ」は変わることがある」

  • 評論をなぜ読むのか?それは知らないこと、分からないことを知りたいし分かりたいからだ。
  • 教養という言葉は二つの意味がある。
    • 1.知識の量
    • 2.物事を考える座標軸をたくさん持っていること
  • 評論は、この二つ目の教養に関連している。