畑村洋太郎『畑村式「わかる」技術』講談社現代新書、2005年10月

畑村式「わかる」技術 (講談社現代新書)

畑村式「わかる」技術 (講談社現代新書)

■内容【個人的評価:★★★★−】

  • 創造や失敗について考えるときは、まず事象をしっかりと理解することから始める必要がある。「しっかりと理解する」ためには、まず「わかる」ということの仕組みをきちんと知っておく必要がある。
  • みな「わかる」ことを求めてきたし、これが科学技術発展の基礎にあった。
  • 「わかる」ことをめぐっては、現在ふたつの大きな流れがある。
    • 1.「もっとわかりやすく」という欲求の高まり
      • →われわれを取り囲むすべてのシステムが巨大化されたため、全体の理解ができにくくなっている。
      • →しかし、単純に、平易に表現すれば「わかりやすく」が実現できるわけではない。
    • 2.「わかる」人に対する需要の高まり
      • →「わかる」人とは、自分でゼロからつくりあげていくことのできる人であり、従来の秀才型のような答えをたくさん知っている人ではない。秀才型は尊敬されなくなってきた、それは現代は、こうすればよいというはっきりした解がない時代だからである。じたばたしながら自分の力で「わかる」能力を身につけた人が求められている。
  • これら二つの「もっとわかりやすく」と「わかる人」を実現するためには従来型の手法では難しい。そのためには「わかる」とはそもそもどんな状態なのかを知ることが必要である。

○第一章「「わかる」とは何か」

  • 世の中のすべての事象は、いくつかの「要素」が絡み合って、ある「構造」を作っている。そしてそれら「構造」がいくつかまとまって「全体構造」を作っている。そしてそれが「機能」を発揮している。
  • 人は頭の中に「テンプレート」を持っている。それと事象を比較して一致している場合には「わかる」と思い、一致していない場合には「わからない」と思う。
  • 現象をより深く理解するという意味では、モデルを自分なりに深く検討して自力で作り上げるのが理想である。
  • 大学生になったとき、数学がさっぱり分からなかった。しかし、問題を解くことはできた。つまり、数学の問題を解くスキルはあるが数学の本質が分かっていなかった、と言える。公式や定理にあてはめるのはスキルであり、その公式や定理の意味をきちんと理解しているのが本質である。自分なりに数学の本質を理解したのは、定年を間近に控えた還暦のころだった。
  • これをもとに『直観でわかる数学』という本を書いた。この本は、数学と格闘した経験を持つ人には評価してもらえたが、テンプレートのない人には分かってもらえなかったようだ。
  • なぜ数学の授業で数学が分かるようにならないのか。それは、まずはじめに定義や定理を示し、解説を行うというスタイルにあるのではないか。本来は、身近な話題から入れば理解のとっかかりになるのに、そうした進め方になっていない。教わる側の意識に気を配るべきである。相手が「これは自分とは無関係だ」と考えているうちに授業を進めても無理である。
  • 納得できないことがあるとそこから先へはなかなか進めないものだ。
  • 本来は、強制して公式や定理を覚えさせるのでなく、何が問題なのかを見つける「課題設定」の力が必要なのである。
  • エッセンスだけを教わるのでは分かりにくい。大事な部分に絞って教えるのは、昔から人間の営みの中で行われてきたことである。
  • 自分は古文や漢文、世界史や日本史、英語がまったくだめだった。丸暗記科目はもともと勉強する気になれなかったのである。しかし、そうした科目も、たとえば漢文を時代背景をふまえて理解する、というスタイルであれば少なくとも興味の持ち方はずいぶん違ったのではないかと思っている。
  • いくつもある事実や知識の中に共通して含まれている普遍的な事柄を抽出することを「抽象化」という。これを自分は「上位概念に登る」といっているが、たとえば数学の公式は上位概念の典型である。しかし上位概念だけを示されても実態を理解することは難しい。「具入りの汁」で「シチュー」を理解できないのと同じである。
  • ある事象を理解するときに「直観でわかる」ことはひとつの理想的な姿だと考えている。構造を理解すれば、直観で思考のショートカットができる。これが目指すべき姿である。
  • 東大の受験生でも、丸暗記タイプときちんと構造を理解するタイプに分かれる。前者は解答が速いが、大学に入ってから苦労することになる。基礎となる構造をまったく理解していないから応用がきかないのだ。また、こうした学生は自分は東大生だから頭がよいと思いこんでいるため、社会に出てからはますます苦労することとなる。

○第二章「自分の活動の中に「わかる」を取り込む」

  • 暗記について否定的なことを書いてきたが、じつは暗記は必要である。物事を考えるのに最低限要素のことは知っていなくてはならない。基礎的な知識は暗記してそこから考えを構築していくことである。
  • 自分の身の丈を利用して、直観的に量的なものを把握できる力は必要である。創造するためには体感が必要なのだ。
  • 自分の力でテンプレートを作る訓練を重ねていると、法則を自分で見つけることができるようになる。

○第三章「「わかる」の積極的活用」

  • 話上手といわれる人がいる。そうした人はどう違うのか。
  • 同じ話をしていても、話が話していることばかりではなく立体的である、聴衆の反応をきちんと確認している。結局のところ面白い話をできる人は、聴衆のテンプレートを豊かにできる人である。
  • 考えを伝達するとき、絵を描くと理解につながる。絵の持つ情報量はとても多い。
  • 見ない、歩かない、考えない、は自分が行き詰まっていることにすら気が付かない。「現地」「現物」「現人」が考えるための基本である。
  • わかるためには記録をつけることが有効である。単なる感想文にせず、そこから得た知見を整理して書くことが有効である。
  • 自分は見学中はメモをとらない。対象を要素と構造に分解して記憶しているのでメモの必要はない。ある程度時間をおいてから記録をまとめるが、それは考えを深めるためである。
  • アウトプットすることで初めて理解が深まる。
  • 創造とは日々の実際の活動の中でしか生まれない。

■読後感
たしかに、仕事をしていると直観的に、しかも何らかの根拠に基づいて実像を結ばなければならない場面に遭遇することが多い。