プラトン『国家』(上・下)岩波文庫、1979年1月

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

■内容【個人的評価:★★★★−】

  • 端正で自足することを知る人間でありさえすれば、老年もまたそれほど苦になるものでもない。もし、その逆であれば、老年であろうが青年であろうがいずれにしろつらい。
  • 自分の生涯のうちに数多くの不正を見いだすものは、子供たちのように幾度となく眠りからさめては恐れに震えたり、暗い不安につきまとわれて生きたりすることとなる。
  • 富は、理をわきまえるものにとって最大の効用をもつといいたい。
  • 国家を建設するに当たって目標としているのは、ある階層だけが特別に幸福になるのではなく、国の全体ができるだけ幸福になるようにということである。そのような国家の中にこそ最もよく正義を見いだすことができる。
  • 貧乏も富も、技術の製品を悪化させ、職人自身を悪化させるということになる。
  • すぐれた養育と教育が維持されるならば、それはすぐれた自然的素質を国の内に作り出していく。
  • さまざまな問題を解決するための法律や国制というものは悪い制度のもとにあるか良い制度のもとにあるかにかかわらず真の立法者がかかわるべきものではない。良い国の場合には、そうした法律のあるものは誰でもがつくれるものであり、他のものはそれ以前に定めた制度のあり方からほっておいてもおのずから決まってくるものだからだ。
  • 国家は、知恵があり、勇気(投げ出さない)があり、節制(一種の秩序)を保ち、正義を備えていなければならない。

■読後感
国家とは、個人の力では実現不可能な善を実現するための装置であるが、現在の国家を考えてみたとき、その方向性については百人百様の意見が述べられる。
方向は、単一の問題に関しても、たとえば百年後を見たとき、十年後を見たとき、一年後を見たときで違ってくる。また、人によって求める方向が違うため、一年後でさえも方向は変わってくるだろう。
では百年後の方向などというものは必要ないのか。それはやはり必要なのだろう。一年後の方向がここからずれてしまうようでは、いけないということになるだろう。百年後の方向ということになると、方向というより基本的な方針とでもいったものかも知れない。
問題は、一年後の方向を考えるとき、これがあまりにも自分の判断でなく、他者(マスコミ)などの判断に委ねられてしまっているところである。しかし、それはそれで判断であるのであり、仕方がないことでもあるのだ。あとは、教育と実践を繰り返すことを通してしか民度が高まることはない。