和久田康雄『日本の私鉄』岩波新書、1981年6月
- 作者: 和久田康雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1981/06/22
- メディア: 新書
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○「はじめに」
- 鉄道の運営には、国有国営(戦前の鉄道省)、国有公社営(日本国有鉄道)、公有公営(都営、市営)、民有民営(株式会社など)といった区別があり、そのほか国の特殊法人(営団、公団)や第三セクターといわれるものがある。このうち国鉄だけが国有であり、それ以外が一般に私鉄といわれる。
- 私鉄では総キロ数で5000キロ、国鉄20000キロの4分の1であるが、都市部中心であり、中京と京阪神では国鉄を上回っている。
- 海外では、私鉄が発達しているのはイタリアとスイスくらいである。とりわけ日本のような近郊電車、都市間電車はほとんど見られない。
- アメリカではアラスカ鉄道を除きすべて民営である。ただ、不採算の長距離旅客輸送は政府出資の鉄道旅客輸送公社(AMTRAK)が肩代わりをしている。
- 我が国に初めて鉄道を敷こうという働きかけは外国人から行われた。アメリカ人ポートマンは1868年幕府から江戸−横浜間の鉄道建設の免許を受けた。しかし、明治新政府は自ら鉄道を敷設することとした。イギリスで起債し官設鉄道を建設した。新橋−横浜間の鉄道開業は1872年10月14日である。
- 政府は東京と京都、大阪を鉄道で結ぶことをまず第一の目標とした。
- 一方、旧大名など華族の資金を活用し、政府に代わって鉄道を敷設しようという私鉄の計画が持ち上がった。これは華・士族に生計の道を与え、鉄道建設により産業開発を図るものであり、岩倉具視中心に進められ、東京−高崎間、東京−青森間を出願して日本鉄道として着工された。政府も財政難でやむを得ずこうした形式をとったが、建設は官鉄により行われた。
- 本土空襲により、とりわけ被害を受けたのは電車庫、変電所である。電車は全体の25%が被害を受けている。
- 戦後の食糧買い出しや住宅難などによる長距離通勤など、1947年の旅客輸送人員は1936年の2.5倍に及んだ。人々は連結部に乗車したり、座席のうえに立ち上がって詰め込むほどであった。
- 道路整備に従い、バスの躍進が続き、地方のローカル私鉄は廃止されていった。
- 地方鉄道軌道整備法による補助は、新線補助・大改良補助・欠損補助・災害復旧補助があったが、現在では欠損補助しかない。
- 北海道の炭鉱私鉄は、1970年代のエネルギー転換によりほとんどが廃止に追い込まれた。
- 大都市ではほとんど路面電車が追放に追い込まれた。ほとんど排気ガス公害もないのに、邪魔だという世論で廃止に追い込まれてしまった。また、アメリカモデルを志向したためともいえる。ヨーロッパではフランス、イギリスは路面電車を廃止したが、ドイツは立派に利用していた。
- 日本では、都市交通の中心を地下鉄とし、補完輸送をバスとするという方針をとった。
- 美濃部都政下で路面電車を廃止したが、人件費などにより累積赤字も大きかった。