和久田康雄『日本の私鉄』岩波新書、1981年6月

日本の私鉄 (1981年) (岩波新書)

日本の私鉄 (1981年) (岩波新書)

■内容【個人的評価:★★★−−】
○「はじめに」

  • 鉄道の運営には、国有国営(戦前の鉄道省)、国有公社営(日本国有鉄道)、公有公営(都営、市営)、民有民営(株式会社など)といった区別があり、そのほか国の特殊法人営団、公団)や第三セクターといわれるものがある。このうち国鉄だけが国有であり、それ以外が一般に私鉄といわれる。
  • 私鉄では総キロ数で5000キロ、国鉄20000キロの4分の1であるが、都市部中心であり、中京と京阪神では国鉄を上回っている。
  • 海外では、私鉄が発達しているのはイタリアとスイスくらいである。とりわけ日本のような近郊電車、都市間電車はほとんど見られない。
  • アメリカではアラスカ鉄道を除きすべて民営である。ただ、不採算の長距離旅客輸送は政府出資の鉄道旅客輸送公社(AMTRAK)が肩代わりをしている。

○1「私鉄の誕生」

  • 我が国に初めて鉄道を敷こうという働きかけは外国人から行われた。アメリカ人ポートマンは1868年幕府から江戸−横浜間の鉄道建設の免許を受けた。しかし、明治新政府は自ら鉄道を敷設することとした。イギリスで起債し官設鉄道を建設した。新橋−横浜間の鉄道開業は1872年10月14日である。
  • 政府は東京と京都、大阪を鉄道で結ぶことをまず第一の目標とした。
  • 一方、旧大名など華族の資金を活用し、政府に代わって鉄道を敷設しようという私鉄の計画が持ち上がった。これは華・士族に生計の道を与え、鉄道建設により産業開発を図るものであり、岩倉具視中心に進められ、東京−高崎間、東京−青森間を出願して日本鉄道として着工された。政府も財政難でやむを得ずこうした形式をとったが、建設は官鉄により行われた。

○2「幹線鉄道の発達」

  • 日本鉄道は1890年盛岡に伸び、1891年青森まで全通した。山陽鉄道は1891年尾道へ、1894年に広島へ達した。九州鉄道も1891年に門司港から熊本、佐賀−鳥栖間を完成した。北海道炭鉱鉄道も岩見沢−室蘭を1893年に開いている。こうした幹線は政府の補助により建設された。
  • 1899年には食堂車、1900年には寝台車が導入されている。
  • 一方、成田参りの客をめぐり成田鉄道と総武鉄道のサービス競争が1902年に戦われた。成田鉄道では喫茶室付の車両を走らせた。

○3「軽便鉄道の普及」

  • 1904−05年の日露戦争では、軍事輸送に各鉄道会社の車両の規格が異なっていることが不向きとされ、鉄道国有法が制定され、32社5104キロが国有化された。私鉄は20社717キロに激減した。
  • 私設鉄道法が厳しい規制があったのに対し、軽便鉄道法は規制も緩やかで、軌間にも規制がなく、標準である1067ミリより狭い762ミリのナローゲージが数多く出現した。
  • 千葉県では、道路の改良より鉄道が手っ取り早いとして、県営鉄道を四線建設した。(柏−野田、成田ー三里塚など)
  • 1919年には軽便鉄道法と私設鉄道法に代わって地方鉄道法が制定された。1918年には日本初めてのケーブルカ−が生駒に生まれている。

○4「私鉄網のひろがり」

  • 1920年代になると地方鉄道補助法により私鉄ブームが広がってきた。東京では西南部の東急池上線目蒲線東横線が開業した。このほか西武線東武線の電化や小田急の開通があった。
  • また、近郊電車や都市間電車ばかりでなく、都市内の鉄道、たとえば1927年の上野−浅草間の東京地下鉄道は画期的であった。標準軌を使い、第三軌条を使った。
  • 一方地方の私鉄は電化、ガソリンカ−化の道を歩み、一部はバスとの競争に敗れた。

○5「戦時体制と私鉄」

  • 本土空襲により、とりわけ被害を受けたのは電車庫、変電所である。電車は全体の25%が被害を受けている。
  • 戦後の食糧買い出しや住宅難などによる長距離通勤など、1947年の旅客輸送人員は1936年の2.5倍に及んだ。人々は連結部に乗車したり、座席のうえに立ち上がって詰め込むほどであった。

○6「都市高速鉄道網の整備」

○7「宅地開発・観光開発と私鉄」

  • 私鉄が固定旅客の確保のため沿線に住宅を開発して分譲するというやり方は、阪急の小林一三が1910年代に先鞭をつけ、東横、目蒲の五島慶太1920年代に追随したものである。沿線への学校の誘致は、通勤客とは逆方向の輸送需要を喚起するのに有効であった。
  • 大部分の大手私鉄では、認可運賃に抑えられる鉄道部門より、不動産業が大きな利益を上げた。
  • 一方多摩ニュータウンのように公的機関による開発の場合は私鉄が不動産業による開発利益を上げることができないため、ニュータウン開発者の負担による鉄建公団による建設がなされた。
  • 長距離特急列車も生まれる。1957年の小田急のSE車、1958年の近鉄ビスタカーなどである。

○8「ローカル私鉄・路面電車の苦境」

  • 道路整備に従い、バスの躍進が続き、地方のローカル私鉄は廃止されていった。
  • 地方鉄道軌道整備法による補助は、新線補助・大改良補助・欠損補助・災害復旧補助があったが、現在では欠損補助しかない。
  • 北海道の炭鉱私鉄は、1970年代のエネルギー転換によりほとんどが廃止に追い込まれた。
  • 大都市ではほとんど路面電車が追放に追い込まれた。ほとんど排気ガス公害もないのに、邪魔だという世論で廃止に追い込まれてしまった。また、アメリカモデルを志向したためともいえる。ヨーロッパではフランス、イギリスは路面電車を廃止したが、ドイツは立派に利用していた。
  • 日本では、都市交通の中心を地下鉄とし、補完輸送をバスとするという方針をとった。
  • 美濃部都政下で路面電車を廃止したが、人件費などにより累積赤字も大きかった。

○9「私鉄の運賃と経営」

  • 大手私鉄の収入の大部分は旅客運賃である。定期は1979年現在で40%、定期外は60%である。
  • 公営は極端な経営不振だが、大手私鉄も収支はトントンである。なんとか配当を行っているのは不動産事業によるところが大きい。

○10「私鉄の将来」

  • 輸送人員で見ると、私鉄のほとんどは大都市高速鉄道である。自動車に比べ安全性に優れ、排気ガス公害がなく、限られた用地を有効利用できる交通機関である。
  • 人キロあたりのエネルギー消費量は、鉄道の103キロカロリーに対し、バスは156、自家用車は716である。
  • 乗り入れの際に、運賃が割高になることは問題点である。
  • パークアンドライド、バスアンドライドを積極的に導入すべきである。
  • 滅んだ路面電車に代わり、ライトレールトランジットによる輸送体系も考慮すべきである。