イヴァン・イリッチ『脱学校化の可能性−学校をなくせばどうなるか?−』東京創元社、1979年10月

脱学校化の可能性―学校をなくせばどうなるか (1979年) (現代社会科学叢書)

脱学校化の可能性―学校をなくせばどうなるか (1979年) (現代社会科学叢書)

■内容【個人的評価:★★−−−】
○「学校をなくせばどうなるか?」イヴァン・イリッチ

  • 学習とは、誰かのために役立つために行うのではなく、自分がやりたいからするものである。これからわれわれは、ますます効率的になってゆく社会に適した人々をつくる、より効率的な教育か、それとも教育がある特別な機関の仕事ではなくなる、新しい社会のどちらかを選択していかなければならない。
  • 学校は、既成の秩序を再生産するように仕組まれた組織的な事業体である。
  • 学校制度そのものに代わる根本的な代案は、広い意味において学校を廃止し、教育に対する自由を保証することである。

○「教育の経済学のために−イヴァン・イリッチの『脱学校の社会』についての根本的一批判」ハーバート・ギンティス

  • イリッチの理想社会は、商品とサービスの完全に競争的な市場を持っている小規模の個人経営的資本主義に基づいている。
  • イリッチは、社会的衰退の根源を法人組織の官僚制の自律的で操作的な行動の中にあると考えている。しかし、その根源は、資本主義の基本的経済制度に求めるべきではないか。
  • イリッチの分析で最も重大な誤りは、彼がわれわれすべての中に、すべての社会的経験に先行して人間的本質があることを無条件に仮定しているところである。

○「すべてが学校化しつくされている」コリン・グリア

  • イリッチの批判は、国家の廃止を意味する。しかし、なぜ人間が今ある社会を作り上げてきたのかの分析が示されていない。そうした洞察なしに代替を提示することはできない。

○「イリッチの見解の真剣な検討」サムナー・M・ローゼン

  • イリッチは衝撃的にアメリカの知的舞台に躍り出た。そして今、クエルナバカにある国際文化資料センターには、当初ほとんど訪れるものはなかったが今は世界中いたるところから教師や学生が巡礼してくる。
  • イリッチの考え方は、とくに発展途上国の経済体制とわれわれ自身の経済の人的サービスの部門に関してはまじめに考慮されるべきである。しかし、脱学校化はわれわれの社会の主要な諸悪を解決するものではない。

○「イリッチ案実施以降はどうなるか」ジャドソン・ジェローム

  • わたしは、イリッチが描くような教育を実践してきた。従来の制度に代わるユートピア的な制度である。しかし、最近ここからは理想に到達することは難しいと考え始めている。求められているのは脱学校化ではなく、脱制度化ではないか。
  • われわれの社会は専門家により動かされ、自分たちの労働ばかりでなく、身体の諸機能、飲食物、輸送、子どもや配偶者、年寄りたちから疎外され、箱の中に住み、ぜんまい仕掛けの命を持って生きている受け身の単細胞となった。この状況は自由・平等・保障・資源を要求し、ますます多くの法律、ふえる一方の基金、計画、案、増え続ける専門家の組織を永続的に作り出す過程によって成長している。

○「アメリカ学校化の実情」アーサー・パール

  • イリッチは、何でも学びたいものを自由に学べることの大切さを説いているが、望ましいと考えられる社会像について明確には提示していない。義務教育をなくせば「よき社会」が何となく現れてくると信じているようだ。
  • しかし学校は必ずしも一枚岩ではない。学校という場において、探求心のある若者たちが相互に影響しあっている。

○「危険指数の必要」ロイ・P・フェアフィールド

  • イリッチの脱学校の社会を実現するには、学習の座標をどこに位置づけるのかの新しい定義と新しい態度が必要である。

○「今なお、それはニュースである」マクサイン・グリーン

  • イリッチの意見にさらされると、自意識と批判意識が増大する傾向にあるようだ。彼の目的は、ものをよく見えさせるところにあるのかもしれない。

○「私のイヴァン・イリッチ問題」ニール・ポーストマン

  • イリッチは厳密な社会批判を行う力量を持ってはいるが、本質的には神秘主義者である。飽くまでも改革は少しずつ、苦しみながら行われるべきものである。

○「学校をなくした後は自由学習を」ロナルド・グロス

  • 自由な学習は、今日いくつかの学校で行われており、自由な学習を行うために学校を廃止する必要はない。しかし根本的には、学校によらない学習の機会に公正な支持を与えることを保証すべきである。

○「解説」桜井恵子

  • イリッチの脱学校論には、教育行政官、機能主義者、新ロマン主義者、学校改革の実践者、ネオ・マルクシストから批判が展開された。主に、方法論的批判(経験的実証性にかける)、代案への批判(学校を全廃してどうするのか)、革命の戦略への批判(どのように達成できるのか)、ユートピア批判(レトリカルなレベルにとどまっている)がある。
  • イリッチがよく使う用語コンヴィヴィアル(共生)は、プロメテウス的(世界を人工的に作り上げ、人間によって計画され統制される→環境汚染、社会の分極化、心理的不能)ではなく、エピメテウス的(期待よりも希望、製品よりも人間)である。