柴田南雄『グスタフ・マーラー』岩波新書、1984年10月

■内容【個人的評価:★★★−−】
○はじめに「われわれとマーラー

○1「ボヘミアからウィーンへ」

  • グスタフ・マーラーは、1860年にボヘミアの小村カリシュトに生まれた。そして50歳でウィーンに没している。生まれて数カ月でモラヴィアに移っている。ユダヤ人であり、家庭環境もよくはなく、疎外感も味わいながら育った。マーラーの家はオーストリア軍隊の兵舎に近く、軍楽やラッパの音を聞いて育った。この影響か、マーラー交響曲にはトランペットなど金管楽器がよく登場する。
  • ウィーンの音楽院に入学したが、その時期はワーグナーに心酔していた。作曲コンテストでは入選できなかった。
  • しかし、第一交響曲1888年3月に完成させると、とつぜんブダペスト王立歌劇場監督という地位が転がりこんできた。
  • 第一交響曲には「巨人」というサブタイトルが付けられたが、ジャン・パウルの小説の引用であり、必然性のあるものではなかった。このため、後に撤回されている。この曲は、比較的伝統に沿った形式感があり、それがブーム以前から親しまれていた理由でもある。

○2「新しい世界への出発」

  • 第二交響曲マーラーは世に認められることになった。
  • 音楽としては高貴さと通俗さがないまぜになっている。

○3「成就と崩壊の始まり」

  • マーラーの第五、第六、第七交響曲は一つのグループを形成している。声楽なしの交響曲に立ち返った。またリュッケルトの詩による歌曲集「子供の死の歌」などと様々な形で相互にかかわっている。
  • アルマとの結婚(アルマ21歳、マーラー42歳)があった。シューマンに伝統的な音楽の見地から批判的だったクララと異なり、アルマは逆に新しい音楽感覚から夫の音楽を批判している。

○4「背後の世界の作品」
○5「開かれた終末」

  • 入院後5日目に早くも亡くなっている。臨終の際「モーツァルト」の一語を最後に息を引き取っている。