柴田南雄『グスタフ・マーラー』岩波新書、1984年10月
グスタフ・マーラー―現代音楽への道 (岩波新書 黄版 280)
- 作者: 柴田南雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1984/10/22
- メディア: 新書
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○はじめに「われわれとマーラー」
- マーラーがブームといわれるようになって久しいが、日本人のマーラー理解は、西洋人とはやや異なり、とりわけ『大地の歌』に見られるような特有の非ヨーロッパ的要素への共感がある。
- また『大地の歌』もそうだが、マーラーは古典音楽の規則や習慣を大胆に破っている。
- 二次大戦前は、交響曲といえばベートーヴェンが中心で、ほかには古い方でハイドンとモーツァルト、ロマン派でシューベルト、シューマン、ブラームスというところが固定的なレパートリーだった。戦後プロコフィエフ、ショスタコーヴィチに関心が向けられるようになり、1960年代になってようやくブルックナー、マーラーが注目されるようになった。
- マーラーの曲は、長大な難曲が多い。1960年代になり、ようやくオーケストラ技術の向上により演奏できるようになったともいえる。また、生でなく録音で聞くことにより、長大な曲も苦にならなくなってきたこともあげられる。
- ブルックナーとマーラーの共通点は実は曲が長いということくらいしかない。ブルックナーはマーラーのような非ヨーロッパ的要素は持ち合わせていない。
- グスタフ・マーラーは、1860年にボヘミアの小村カリシュトに生まれた。そして50歳でウィーンに没している。生まれて数カ月でモラヴィアに移っている。ユダヤ人であり、家庭環境もよくはなく、疎外感も味わいながら育った。マーラーの家はオーストリア軍隊の兵舎に近く、軍楽やラッパの音を聞いて育った。この影響か、マーラーの交響曲にはトランペットなど金管楽器がよく登場する。
- ウィーンの音楽院に入学したが、その時期はワーグナーに心酔していた。作曲コンテストでは入選できなかった。
- しかし、第一交響曲を1888年3月に完成させると、とつぜんブダペスト王立歌劇場監督という地位が転がりこんできた。
- 第一交響曲には「巨人」というサブタイトルが付けられたが、ジャン・パウルの小説の引用であり、必然性のあるものではなかった。このため、後に撤回されている。この曲は、比較的伝統に沿った形式感があり、それがブーム以前から親しまれていた理由でもある。
○5「開かれた終末」
- 入院後5日目に早くも亡くなっている。臨終の際「モーツァルト」の一語を最後に息を引き取っている。