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養老孟司(2003)『バカの壁』新潮新書

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

■内容【個人的評価:★★★−−】

◇認識は人そのもの、認識が変わることで自分も生まれ変わる

  • 朝、学問をして知ったら、夜、死んでもいいなんて、無茶苦茶な話だ、と思われるでしょう。私も若い時には何のことだかまったくわからなかった。しかし、「知る」ということについて考えるうちに気がついた。要するに、ガンの告知で桜が違って見えるということは、自分が違う人になってしまった、ということです。去年まで自分が桜を見てどう思っていたか。それが思い出せない。つまり、死んで生まれ変わっている。(61ページ)
  • そもそも人間は常に変わりつづけているわけですが、何かを知って生まれ変わり続けている、そういう経験を何度もした人間にとっては、死ぬということは特別な意味を持硬っものではない。現に、過去の自分は死んでいるのだから。そういう意味だと思うのです。(62ページ)


◇学習はインプット=アウトプットのプロセス

  • 身体を動かすことと学習とは密接な関係があります。脳の中では入力と出力がセットになっていて、入力した情報から出力をすることが次の出力の変化につながっています。身近な例でいえば、歩けない赤ん坊が何度も転ぶうちに歩き方を憶える。出力の結果、つまりここでは転ぶという経験を経て、次の出力が変化する、ということを繰り返す。そのうちに転ばずに歩けるようになってくる。(93ページ)


◇人生は他者とのかかわりを通じてのみ意味を持つ

  • 「人間ならわかるだろ」という常識と同様、人間にとって共通の何らかの方向性は存在しているのではないでしょうか。私は、一つのヒントとなるのは「人生には意味がある」という考え方だと思っています。アウシュビッツ強制収容所に収容されていた経験を持つV・E・フランクルという心理学者がいます。彼は収容所での体験を書いた『夜と霧』(みすず書房)や、「意味への意志』『〈生きる意味〉を求めて」(春秋社)など、多数の著作を残している。そうした著書や講演のなかで、彼は、一貫して「人生の意味」について論じていました。そして、「意味は外部にある」と言っている。「自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。より噛み砕いていえば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。とすれば、日常生活において、意味を見出せる場はまさに共同体でしかない。(109〜110ページ)


◇ゆたかな社会とは

  • 要するに、「働かなくても食える」というのが理想の状態だと思って、一生懸命働いてきた。実際、働いた分、経済は成長し、社会はどんどん効率化していった。ホームレスでも飢え死にしないような豊かな社会が実現した。ところが、いざそうなると今度は失業率が高くなったと言って怒っている。もうまったく訳がわからない(123ページ)
  • かっては、金を貯めて大きな家を作りたい、車を買いたいと、金と実物が結びついていた。もちろん、今でもそういうことはあるにせよ、どんどん現実から遊離していって、今は信号のやりとりだけになっている。結果として、経済の世界には、実体経済に加えて、ほかの言葉がないのですが「虚の経済」とでもいうべきものが存在している。虚の経済とは何かというと、金を使う権利だけが移動しているということです。(187ページ)


◇利口、バカとは何か

  • 利口、バカを何で測るかといえば、結局、これは社会的適応性でしか測れない。例えば、言語能力の高さといったことです。(126ページ)
  • 大体、相手を利口だと思って説教しても駄目なのです。どのぐらいバカかということが、はっきり見えていないと説教、説得は出来ない・相手を動かせない。従って、多分、政治家は務まらない。(182ページ)
  • バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。本書で度々、「人は変わる」ということを強調してきたのも、一元論を否定したいという意図からでした。今の一元論の根本には、「自分は変わらない」という根拠の無い思い込みがある。その前提に立たないと一元論には立てない。なぜなら、自分自身が違う人になっちゃうかもしれないと思ったら、絶対的な原理主義は主張できるはずがない。(194ページ)

■読後感
かつて(12年前)のベストセラーであるが、今読んでも新鮮に感じられる部分は多い。
際限ない情報の取得や、際限ない経済の成長が人にもたらしたものはなんだったのか、その意味を改めて問いかけている。
情報の取得は、それだけではその人の認識を変えていくものではなく、アウトプットを行うことで初めて意味を持ってくる。
そして共通項である「常識」(誰が考えてもこうだろう)を出発点に、社会とかかわりながら自分を変えていくプロセスが、「バカの壁」を取り払うことのできる唯一の手段であるとしている。