茂木健一郎『脳と創造性』PHP研究所、2005年4月

脳と創造性 「この私」というクオリアへ

脳と創造性 「この私」というクオリアへ

■内容【個人的評価:★★★−−】
○はじめに

  • 創造性ということについて、すばらしいものだと思う半面、それは天才といわれる人にのみ与えられていると思っている人が少なくないのではないか。しかし、新しいものを生み出す能力はわれわれ一人ひとりにまんべんなく与えられており、どんな瞬間にも創造的であるのがわれわれの脳である。
  • 創造的であるということは、世界を今までとは違った視点から見るということである。
  • 古代は人間の筋肉の力で大きな構築物を作り出した。近代は、そうした労働の多くが機械により代替される一方、情報を記録するホワイトカラーが大量に必要とされるようになった。そしてそれがITによって代替されるようになると、人間の創造性が評価されるようになってきた。創造性はコンピュータによっては代替されない。
  • そもそもコンピュータのアーキテクチャーと脳のアーキテクチャーは成り立ちが違う。前者はプログラムで指定された処理を正確、高速に繰り返し行うものであるが、脳はこれが苦手である。そのかわり創造する力が極めて高い。

○第一章「創造性の脱神話化」

  • コンピュータの発達により人間性が疎外されるという考え方をする人がいるが、実態は逆で、これにより単純な作業から解放されて、いよいよ人間らしい能力の中核に接続することを求められるようになる。
  • インターネットのハードウェアは、コンピュータにより支えられているが、グーグルのような革新的なビジネスモデルは人間の脳によってしか生み出されない。
  • 短い生涯のうちに、沢山の美しい曲をつくったモーツァルト、流れるように曲想が湧いてくる「フロー」状態の中で次々と傑作をつくった。
  • 夏目漱石は、困窮の英国留学生活において近代日本の運命をとことんまで考え、深い文学表現を生んだ。
  • アインシュタインは、15歳のときに考えた疑問、「光を光のスピードで追うとどうなるか」を10年間しつこく考え、相対性理論を生んだ。
  • 創造性の本質には他者とのコミュニケーションが深く関わっている。
  • 人々が、それぞれの生きる現場において自らが置かれた文脈を引き受けて様々な工夫をこらすとき、そこで生み出されたものは必ずや生において切実な意味を持つ。評価されるかどうかは二の次である。

○第二章「論理と直感」

  • 自然の営みはコントロール不可能であり、これを前面に押し出したのが複雑系の科学である。
  • 今日のコンピュータの理論的な基礎を作り上げたのはイギリスの数学者アラン・チューリングで、1940年代にチューリング・マシンというコンピュータのモデルを考えた。データを読み、定められた計算を行い、結果を出力するもので、定められた計算をアルゴリズムという。その後、この理論がチェコ出身のフォン・ノイマンにより工学的に実現されることになった。
  • 脳は定められたことを行うのは苦手である。一方で、「直観」という、こうではないかという考えを生み出す力を持っている。将棋指しもまず直観を得、その後に、論理的に正しいか確認(長考)する。
  • チェスをコンピュータ(ディープ・ブルー)とプロの人間が行い、コンピュータが勝利した。このコンピュータはアルゴリズムのお化けであり、さまざまな考えられ売る指し手を比較し、最良の手を選んだ。一方人間はまず直観があり、その後考える。思考過程がまったく異なるのである。
  • 直観は無意識の世界だが、「これでいける」という感覚は意識の中で把握される一つのクオリア(感覚質)である。『ご冗談でしょう、ファインマンさん』には、人間の直観の本質をよく伝える場面(原子爆弾の開発においてプロジェクトの全体像を従事する科学者へ伝えるべきかどうか、という問題に責任者の大佐が5分で決断する。)がある。
  • イギリスは成文憲法を持たない。しかし、様々な工夫を経てできあがった国家の統治構造であるThe Constitutionはある。憲法を形として持たないことは、重要な決断ほどルールに基づいて行われるわけではないことと関係している。逆に、どうでもよいことはルール化しておいた方が無用な混乱を招かない。重要な政策決定をルールに基づいて、ということになると非常に悠長なことになってしまう。指導者の直観が重要なのである。
  • たんに考えるばかりでなく、身体との相互作用、実際にやってみることも重要である。

○第三章「不確実性と感情」

  • 自発性は生命の本質に深く関わっている。

○第四章「コミュニケーションと他者」

  • 他者とのかかわりが重要であるが、みんなで仲よくとか全体の中での自分の役割を考える、ということを意味するのでなく、丁々発止のやりとりの中で新しいものを生み出すプロセスが重要である。創造と競争は必ずしも相性が悪いわけではない。
  • モーツァルト早期教育を受け有効に働いたが、もっとも重要なことは現場で鍛えられたということであろう。一人でトレーニングやドリルをやるのではなく、大人との関わりがあったのだ。
  • 生の現場における文脈を引き受け、他者との関係性を通して自己を確立する。

○第五章「リアルさと「ずれ」」

  • 創造はぎこちなさから始まる。そして、創造のプロセスが軌道に乗ると、自分自身の脳が創り出すダイナミクスにはまり、心理学者チクセントミハイがいうところのフロー状態になる。
  • 外界とのずれを脳は認識し、外の世界との交渉を行う。考えるだけでなく実際にやってみるということにより脳は活性化する。
  • コンピュータにばかり向き合っていると外界のノイズが入らなくなり、ずれへの対応が行われなくなってしまう。
  • 古代ギリシャには歩くことで発想を生み出そうという哲学者のグループがあった。

○第六章「感情のエコロジー

  • 創造性を支える直観や判断、インスピレーションといった脳の働きの背後には感情がある。
  • 集中して仕事を何時間もすることは、とりわけ創造的な仕事ほど苦しい。そんなときは神経細胞が盛んに活動し、多くのエネルギーが消費され、シナプスがつなぎかわっている。
  • 一方で退屈な時間を経ないと生み出されないものもある。

○第七章「クオリアと文脈」
○第八章「1回性とセレンディピティ

  • たとえば日々を充実させるように心掛け、波乱万丈の生涯を起こったとしても体験できることは限られている。
  • 『三四郎』では、三四郎と美祢子の会話はそれほどでもない。全部集めても数ページである。
  • 法学者が憲法の原理について考察する。しかし、そうしているうちに人生は終わるだろう。精いっぱいやっていても高が知れてくる。
  • 自分が深く関心を寄せる対象でさえ、人生の中でできることは限られているのだ。逆に一回一回の出来事に普遍性を宿らせようとすることでささやかな有限の人生に潜在的な無限の広がりを志向するわれわれの精神を託することができないか。
  • 大事だからといってなんども経験するのでなく、一回性だからこそ貴重な思い出となる。

○終章「個別と普遍」