網野善彦『無縁・公界・楽−日本中世の自由と平和−』平凡社選書、1978年6月

■内容【個人的評価:★★★★★】

  • 「エンガチョ」という遊びがあるが、これは日本社会の持つ縁切りの原理、ひいては人間の心と社会の深奥にふれる意味を持っている。
  • 江戸時代、女性には離婚権がなかった。しかし縁切寺への駆け込みにより、夫は妻に手を出すことはできなくなり、三年間比丘尼として勤め、奉公すれば縁は切れ離婚の効果が生じた。
  • 縁切寺は「自由」な場であるが、内部での階層、戒律などが厳しい場所でもあった。縁を切るという「自由」は、西欧の自由とは異なるものである。
  • 遍歴する「芸能」民、市場、寺社の門前、そして一揆、これらはみな無縁の原理と深い関係を持っている。
  • 中世、遍歴する「職人」のなかには、関渡津泊(関所)の自由通行を認められ、津料などの交通税免除の特権を保証されている人々が多く見いだされる。
  • こうした原理は、戦国大名の専制支配の原理とは本質的に対立するものであった。
  • すべての寺が無縁所であったわけではなく、大名などの縁につながり、その保護・支配の下におかれる寺もあった。
  • 戦国時代は、無縁所が公界寺と呼ばれることもあった。弁財天で有名な相模の江嶋は、戦国時代の公界所だった。江嶋は平和領域であることを保証され、また主を持つことを許されなかった。
  • 堺や博多は自治都市であったが、無縁の原理に基づいた特権を安堵されていた。
  • 専制的な支配体制の確立を目指す権力にとって、一向一揆寺内町は最大の障害物であった。
  • 「太子」とも言われる「渡り」たち、漂泊・遍歴する海民、山民、商工業者を一向一揆の主軸であるとする主張を完成することなく世を去った井上鋭夫氏の研究は、一向一揆と公界者の切り離しがたい関係を示唆するものである。また、一向一揆寺内町には、「公界」「無縁」の原理が強靭な生命力をもって働いていた。
  • 「楽」という言葉がある。戦国大名による上からの楽市楽座ではなく、自由な取引が行われる津や湊である。「楽」は「公界」「無縁」と同じ原理でつながっており、これは「エンガチョ」の原理と同じである。
  • 無縁・公界・楽の原理は、1.不入権、2.地子・諸役免除、3.自由通行権の保証、4.平和領域、5.私的隷属からの解放、6.貸借関係の消滅、7.連座制の否定、8.老若の組織、である。
  • 中世前期は、山林が無縁所、アジールとしての性格を持っていた。無縁の原理は、神仏の支配する地、聖なる場、無主の地として現れてくる。
  • 葬送に携わる非人、遊女、遊行する上人(一遍)、職人、鉱山技師なども無縁の原理を持つ。