イリイチ・フォーラム『イリイチ日本で語る 人類の希望』新評論、1981年5月

人類の希望―イリイチ日本で語る (1981年)

人類の希望―イリイチ日本で語る (1981年)

■内容【個人的評価:★★★−−】
○1「産業社会をこえる道」

  • メキシコや南米で、大勢の人々が私に言いました。「アメリカ人というのは、あんなに多くのスクーリングを必要とするほど、ひどく愚かな人々に違いない」と。それからまた「アメリカ人はそんなに多くの薬を必要とするほど、とても病んだ人々に違いない」、「アメリカ人はきっと足が悪いに違いない。まるで赤ん坊のようにしょっちゅう車に乗る必要があるのだから」とも言っている。

○2「男と女の文化」

  • 決して歴史を後戻りしようといっているわけではない。
  • 男と女の仕事の振り分けは、それぞれの社会に固有のものだった。しかし、産業化に従い、性に固有な仕事の分配が破壊されてきている。男と女は産業化されるまでは家庭内では同等に重要だった。

○3「平和の根源的意味を考える」
○4「日本のイリイチをめぐって」

■読後感
たしかに、スクーリングは、制度社会を動かしていくための共通語を習得する営みといえる部分もある。しかし、それだけを意図しているかというとそうでもない部分はかなり大きい。たとえば産業界からの要求に応えた教育制度となっているかといえばそうでもないだろう。(とりわけリベラル・アーツ)
イリイチの批判は、時代を戻せという空虚な響きに映ることもあるが、人間という生き物の視点から見てどうなのだ、という根源性も持っている。