山口昌男『文化と両義性』岩波書店、1975年5月
- 作者: 山口昌男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1975/05/30
- メディア: 単行本
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○第一章「古風土記における「文化」と「自然」」
- リクールの表現によれば、人間が話し言葉(パロール)になり、話し言葉が一定の現実に合わせたディスクールになり、ディスクールが文になる瞬間にそれは語となる。発話というできごとが起こる各瞬間において、語は、記号論と意味論の働く接点であるということになる。
- ロラン・バルトは、料理の言語体系を論じつつ、「排除の原則」が、料理言語の基礎の成立に働くことを強調している。たとえば西欧人が生魚を除外するのは、生魚が文化の秩序の内側に属していないからである。
- 古代的意識においても、耕作に適しない湿地や、踏み入る道もないような原始林はけがれたところと見られていた。「異和性」のある地点として散所がある。それは役に立たない所であり、多くは水辺や交通の要衝、村境であった。
- 境界は、内と外、生と死、文化と自然、定着と移動、農耕と荒廃など多義的なイメージの重なる場であった。
- 境界は、日常生活の現実には収まり切らないが、人がひそかに培養することを欲する様々のイメージが仮託されてきた。
○第五章「現実の多次元性」
- それまで、生活及び生活者の意識が哲学的思惟の対象になることはほとんどなかった。フッサールは、日常生活を生きる人間の主観的意識を通してとらえられた世界が世界が理解されるもっとも根源的な方法であることを強調する。
○第七章「詩的言語と周縁的現実」
■読後感
人間の文化を言語の構造を踏まえて秩序と反秩序に分けて理解する構造を説き起こしている。