村上春樹『辺境・近境』新潮文庫、2000年6月

辺境・近境 (新潮文庫)

辺境・近境 (新潮文庫)

■内容【個人的評価:★★★★−】
○「メキシコ大旅行」

  • ポール・セローの小説の中で、アフリカにやってきたアメリカ人の女の子が、なぜ自分が世界のあちこちを回り続けることになったかについてこのように語っている。「本で何かを読む、写真で何かを見る、何かの話を聞く。でも私は自分で実際にそこに行ってみないと納得できないし、落ち着かないのよ。たとえば自分の手でギリシャアクロポリスの柱を触ってみないわけには行かないし、自分の足を死海の水につけてみあにわけにはいかないの」。結局のところそれが旅行というものの一番まっとうな動機であり、存在理由だろう。理由のつけられない好奇心、現実的感触への欲求。
  • 人生というのは果てしのない偶然性の山積によって生み出され形成されたものだ。人生のあるポイントを過ぎれば、われわれはある程度その山積のシステムのパターンのようなものを呑み込めるようになり、そのパターンのあり方の中に何かしらの個人的意味合いを見いだすことができるようになる。そしてわれわれはそれを理由と名付けることもできる。しかしそれでもやはりわれわれは根本的には偶然性によって支配されている。学校の先生がどれだけ論理的・整合的な説明を持ち出してこようとも、理由というものは、もともと形のないものに対して無理やりこしらえあげた一時的な枠組に過ぎない。
  • 学生時代はよくリュックをかついで旅行をした。しかし、今では貧乏旅行をする意味はなくなってしまった。リュックではなくサムソナイトのスーツケースを持ち、ミッドサイズのレンタカーを借り、悪くないホテルに泊まって、という世間一般の旅行をするようになった。今回、昔ながらの貧乏旅行をしてみて「うん、これだよ、この感じなんだ」と思った。そこはさまざまなものからの自由の感覚に満たされていた。
  • 一人でメキシコを旅行してみてあらためてつくづくと感じたことは、旅行というのは根本的に疲れるものなんだということである。これは数多くの旅行をしたのちに体得した絶対的真理である。旅行は疲れるものであり、疲れない旅行は旅行ではない。人間を疲弊させる様々な物事を、自然なるものとして黙々と受容していくようになる段階が自分にとっての旅行の本質ではないか。

○「ノモンハン鉄の墓場」

  • ノモンハン戦争は、期間にして4カ月弱の局地戦であり、今風にいうならば限定戦争であった。しかし、それは日本人の非近代を引きずった戦争観=世界観が、ソビエトという新しい組み換えを受けた戦争観=世界観に完膚なきまでに撃破されじゅうりんされた最初の体験であった。しかし、軍指導部はそこからほとんど何一つ学ぶことがなかった。兵士たちの多くは、ノモンハンに限らず、その後の南方戦線においても、名もなき消耗品として効率悪く殺されていった。
  • もしこれ以上中国の大地を走る車の数が増えたとしたら、おそらく桁違いの悪夢であろう。このままいけば遠からず中国全土が交通渋滞、大気汚染、タバコの吸い殻、ベネトンの看板に埋め尽くされてしまうだろう。
  • ノモンハン戦争で戦った日本軍の兵士の多くはハイラルから完全軍装で、徒歩で国境地域までの約220キロの荒野を行軍した。いくら丈夫とはいえ、ほとんどの兵隊は戦闘に入る前に疲労困ぱいの極みに達していたにちがいない。・・・ありとあらゆる虫が人間をめがけてどっと押し寄せてくる。
  • ここで戦闘が行われなくてはならなかったほとんど唯一の理由は、軍の面子と、「あわよくば」という冒険主義的な思惑だけだったのだ。
  • 兵站に関しては、ソビエト軍関東軍とは逆に恐ろしく慎重に計算して行動した。鉄道を使った兵員装備の機動的移動が軍事上の最重要事項であった。何があってもヨーロッパと極東の二正面作戦を回避し、うまくやりくりして一度に一方を始末すること、それがソビエトの絶対的な基本方針であった。だからノモンハン戦争終結直後にポーランドに侵攻し、ドイツ降伏後の1945年8月に満州に侵攻したのは基本的には何の不思議もない。
  • 55年前の戦争であるにもかかわらず、それがつい数年前に行われたかのごとく、戦闘の跡、砲弾の破片、銃弾、缶詰などがところ狭しと散らばっている。
  • 真夜中に部屋全体がシェーカーに入れられて思い切り降られているような感覚で目覚める。・・・揺れていたのは部屋ではなく、自分自身だった。このような深く理不尽な恐怖を味わったのは生まれて初めてだった。

○「アメリカ大陸を横断しよう」

  • 車の窓の外に見える光景は見事なばかりに、芸術的といえるまでに退屈なものである。三度三度食事をとるレストランも、毎晩泊まるモーテルも見事に退屈な代物である。
  • 旅行の間ずっとトラヴェル・ログをつけていたのだが(自分は人間の記憶というものをまったくあてにしていない)、モーテルとレストランについては途中から何も書くべきことを思いつけなくなった。ひとつだけ言えるのは、温水プール付きのモーテルには泊まらない方がいい。建物じゅうが湿気に満ちている。
  • ユタは風景が美しく、風土も興味深いところだったけれど、州境を超えてアリゾナに入り、しけた町のしけたバーで冷えたバドワイザー・ドラフトを飲んだときは正直言ってほっとした。世の中はこうでなくっちゃなと思った。
  • 峠を超えるとあっちの方に白いスモッグの塊が見えて、なるほどあれがロサンゼルスかと思うだけのことだった。アメリカ大陸を横断して西海岸に到着したという深い感動はそこにはない。

○「辺境を旅する」

  • 旅行している間は細かく文字の記録はとらない。ヘッドラインだけを書いていく。現場では書くことを忘れるようにしている。帰国してから一カ月、二カ月経って書く方が余計なものがそぎ落とされていい。自分にとっては旅行記は文章修業でもある。旅行記と小説はほぼ同じだ。
  • 子供のころは、ヘディンやスタンリーの旅行記を夢中になって読んだ。ポール・セローのものもよく読んでいる。よく書かれた旅行記を読むのは、現実の旅行に出るよりもはるかに面白い。

■読後感
フツーの人間が抱く気持ちを重視しているため読み物として面白い。
旅の動機としての「理由のつけられない好奇心」は、学問についても同じことがいえる。
文章とは、どれだけ細部を書けるかにかかっているといわれるが、旅行しながらの感覚の細部をも描いている。