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升味準之輔『ユートピアと権力−プラトンからレーニンまで』(下)東京大学出版会、1976年9月

■内容【個人的評価:★★★★−】
○第八章「バジョット」

  • イギリスの諸制度、あるいはその他の国の場合でも、幾多の世紀を経て成長し、複雑な国民のうえに広範な支配力を及ぼしているような制度を多少でも理解せんがためには、体制を二つの部分に分けて考えることが必要である。一つは国民の尊敬心を喚起しこれを維持する役割、もう一つはそれにより国家が事実上活動し支配するための実践的役割である。
  • イギリスにおいては、国王が尊厳的役割を、そして議院内閣が実践的役割を務める。
  • バジョットは、自国の制度をアメリカ大統領制やフランス共和制と比較し、イギリスのみが議会政治の能力を持つとした。これは討議する能力である。

○第九章「ソレル」

  • ソレルは「マルクスにかえれ」といったが、そのマルクスは、ソレルによってかなりモラリスト=サンディカリスト的に改良されたマルクスである。彼はマルクスにかえるつもりでプルードンにかえった。
  • ソレルは抽象的知識、現実から離れた思想を信用しなかった。信頼に値するのはものをつくるにともなって生まれる経験的知識である。これに反し、ものをつくらない人間は退廃する。指導者は、知識人や政治家であってはいけない。

○第十章「モスカ」

  • 階級なき社会は怠惰なユートピア、美しくさえない夢である。
  • ある政治的有機体の型とその活動の成果は、何よりもまず中間層が形成され機能する仕方にかかっている。

○第十一章「ウェーバー

  • ウェーバーは、ハイデルベルク大学に通ったが、規則正しい日課をこなしてはいたが、決闘や酒場通いをし、金の使い方に糸目をつけなかった。
  • 父の死の七週間前、父と激しく口論し、これがもとで父が亡くなったと考え、廃人同様になってしまった。
  • ウェーバーマルクスフロイトを読んだ。マルクス主義的な発展法則は歴史に関する理想形の一つとして有効であると考えたが、フロイト精神分析については人生の最高の価値を危うくするものであり、「神聖なものの虐殺」である。
  • 禁欲的プロテスタンティズムは、きわめて顕著な反営利的傾向を帯び、営利欲とそれに支えられた商業や金融業(賎民資本主義)を抑制したが、他面、その禁欲と勤労の倫理は生産力の著しい拡充を呼び起こした。すると、その倫理は宗教的なよそおいを次第に捨て去って新しい営利心と内面的に深く結合するに至った。これが資本主義の精神である。
  • また、西洋は近代に至り合理主義を成立させ、これも資本主義の発展に結びついた。
  • それでは資本主義は人間に何をもたらしたのか。彼によれば、資本主義は合理性のエートスにより人間生活全体の合理化を促進する。しかし、経営は自己目的化し、人間は経営の中にはめ込まれた器具となる。このことについては、マルクスも、物を支配した人間の地位が転倒して物が人間を支配する、生産されたものが生産する人間を支配する、この転倒により「自己疎外」がすすむ、とした。
  • 議会に対する行政の優位は大規模集団の経営に伴う一般的傾向である。国家のみならず大規模集団の経営は合理的専門的な特殊化と訓練を受けた官僚が行うほかなく、この傾向の行き着く果てに社会主義がある。
  • 大衆民主主義のもつ国家政治的な危険は、なにをさておいてもまず政治において情緒的な要素が強大な力をもつにいたるという可能性の中にある。
  • 大衆はせいぜい明後日までのことしか考えない。

○第十二章「レーニン」

  • レーニンは『国家と革命』を1917年の七月蜂起に失敗し、官憲の追及をのがれてフィンランドに身を隠していた八月から九月にかけて書いた。
  • 1921年10月、レーニンはこの段階で共産主義を導入しようとしたのはあきらかに失敗だったと率直に認めた。翌年には、重工業を復興させることを政策の中心においた。

■読後感
官僚制に関していえば、事務次官は絶対的な存在、ということと課あって局なし、局あって省なし、という言葉は逆説的である。事務のトップは、権威ではあれ権力を使うことはない。次官が何かを改革することは基本的にはない、ということだろう。