宮本常一『塩の道』講談社学術文庫、1985年3月
- 作者: 宮本常一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1985/03/06
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○1「塩の道」
- いままで行われてきた日本の製塩法というのは、まず塩浜へ海水をまいて、それを天日にさらして塩を結晶させ、さらに潮水をかけて濃い潮水−いわゆるかん水−を採る。それを煮詰めて塩を製造するというのが日本の在来の塩の作り方であった。それを今度は化学的に、イオン交換樹脂膜というものを利用して工業的に塩が生産されるようになると、いままでの製塩法が消えていくばかりでなく、塩の専売制も消えていくのではないか。
- 米や麦や酒にはエネルギーがあるが塩にはない。しかし循環の機能を助け、健康を保全するという働きをする。
- エネルギーを生む食べ物は神に祭られるが、塩は神に祭られるということはない。
- 日本の場合、塩はもっぱら海で生産され、山中で得られることはなかった。福島県の熱塩は例外的に塩を産出している。
- すでに弥生時代中期に、海水を煮詰めるのに使った製塩土器が発掘されている。
- 鉄釜が発明されるまでは、塩の生産はきわめて小規模なものであった。
- 太平洋岸、とくに瀬戸内では、入り浜が発達したのに対し、日本海側では揚げ浜が発達した。
- 古い時代は、自ら海岸へ川づたいに行き、そして塩を作って戻ってくるという塩の道であったが、生産量が増えてくると、塩を売り歩く道として塩の道が活用されるようになる。
- 塩の道を運ぶのに、馬よりも牛が使われた。その理由は、牛の方が細い道を行くことができること、それから牛は道草を食べることである。
- 列島の東の方には、在来の日本人がいた。のちにえぞと呼ばれる蝦夷(えみし)の人々である。竪穴式住居に住み、土蜘蛛と言われた。