森嶋通夫『サッチャー時代のイギリス』岩波新書、1988年12月

■内容【個人的評価:★★★★−】

  • 私の専門は経済学だが、一つの国を、経済の面だけでなく、政治、文化、教育も含めて論じてみたいと考えていた。
  • サッチャーは、イギリスの悪いところも善いところも、数多くすっかりぶち壊してしまった。

○1「党首、マニフェスト、選挙−英首相の強大な力の背景」

  • 私は『イギリスと日本』で、当時多くの人がイギリスは病気にかかっていると論じていたが、一国の評価は経済的業績のみで行われるべきでなく、他の面(文化、厚生その他)からみるとイギリスにはよいところがたくさんあると論じた。
  • サッチャー政権となり、イギリスは大きく変わったが、経済の一部が回復した一方でこれまでの長所が壊されてしまった。
  • 私が前二著でいいたかったことは、経済至上主義に陥ってはいけないということだった。人間が生きていくために経済があるのであって、経済のために人間が生きているのではない。
  • 政権は保守党と労働党の間を行ったり来たりするが、サッチャー時代までは、国の福祉を増進するという目的では両党ともに同じだった。
  • イギリスでは、日本人がジャイアンツだのライオンズだのというのと同じ程度に保守だの労働だのといっている。
  • イギリスでは、各党は選挙前に、自分たちが多数党になったときに実行するであろう政策を、宣言−すなわち公表して約束−する。選挙戦はこの宣言=マニフェストどうしの戦いである。中選挙区制では、一つの選挙区に同じ党の候補者が複数おり、政策ではなく個人的長所を宣伝することとなる。
  • 日本では、選挙のときに資金的援助を受けたボスのところに馳せ参じて、派閥を結成し、党首は最大派閥か最大派閥連合の人がなる。党首は選挙が済むまで分からないということになる。イギリスでは党首→マニフェスト→選挙という経路で当選者が選ばれるため党首の力は強大であり、党員には団結と忠誠が要求される。
  • 私は前著『イギリスと日本』において、このような二大政党体制が、いわゆるイギリス病の原因であると主張した。労働者が怠惰であろうと勤勉であろうと、二大政党がこれでよしとする産業政策を交互に実行すれば長期の経済成長ゼロという事態が生じてしまう。
  • ロンドンスクールオブエコノミクス(LSE)では、「本校の目的は、社会問題の、不偏不党の研究を推進したり、ポリシーをアクションに翻訳し直せる人物の訓練を盛んにしたりすることによって、社会の改良に貢献することにある。」としている。
  • 問題の焦点は、サッチャーが三度の総選挙に連続大勝したにもかかわらず、いまなお、なぜ多くのイギリス人の中で不人気であるのか、にある。本書の分析の結論を先取りしていえば、それは、サッチャー自身が上記の矛盾した国民性を評価しないために、イギリス人らしくないと見られていることによる。ジャンヌ・ダルクヒトラーのように、問題の多くの側面をバランスをとって考えることのできない余裕のない徹底的性格の人物は、イギリス人にとっては好きになれない性格の人である。
  • 票を獲得するには二つの方法しかない。一つはマニフェストによる約束で獲得する方法であり、もう一つは政権党として減税や財政支出をする方法である。

○2「歴史の車輪を逆転させる女−サッチャーの信仰復興」

  • 経済学は、日常的に繰り返される経済活動を数多く観察して、それを合理的に説明しようとしている。しかしある種の経済学者は、このような経済理論、経済法則を駆使して、めったに起きることのない非日常的な現象すら説明しようとする。マルクスが資本主義の崩壊が革命によってなされると説明したのはその最たるものである。資本主義社会に革命が生じるかどうかという問題は、厳格にいえば社会科学や経済学の問題ではなく、ソーシャル・サイエンス・フィクション(SSF)の話題にしかすぎない。こうしたSSFの一つに、シュンペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』がある。彼はマルクスの影響を深く受けたから、非常に広い意味では彼の革命論もマルクス理論の亜流ないしは改訂版といえるが、彼のシナリオは途中まではマルクスに従っているが、後の半分は独自で非マルクス的なものである。
  • 資本主義が大企業による支配体制を完成させていくところまではマルクスと同じである。しかし、その後のシナリオが違う。こうした大企業では、資本主義初期の小企業主の持っていた荒々しい企業者精神を失い、日常的なこととしてイノベーションを行っていくこととなる。そしてそれら企業を支える知識人層は、蓄積もせず、子供への教育を行うこともなく、単なる会社運営の雇員か、いつでも所有権を放棄できる所有者(株主)へと転化する。蓄積が行われないと資本主義社会の自己崩壊は回避できなくなる。
  • サッチャーにとっての理想的な企業とは、父の店=小企業である。一方嫌ったのは知識階層であり、大学や美術館、博物館、劇場を兵糧攻めにした。またロンドン市議会を廃止し、官僚機構や刑務所などを民営化しようとしている。そして、家庭での厳しいしつけ、質実で誇り高い禁欲的な家庭を基礎とした自由私企業経済=マックス・ウェーバーの理想的初期資本主義経済を作り出そうとしている。こうした「ビクトリア時代に帰れ」のスローガンを、強力な権限を背景に行おうとしている。
  • 彼女はオックスフォード大学に化学で入学した。彼女は趣味もなく、もっぱらまじめに勉強した。唯一の柔らかさといえば新しい洋服を着飾って人に見せびらかすことだけであったが、こういう趣味は中上層階級のものではなく、下層階級のものである。

■読後感
経済の第三次産業化といわれるが、第三次産業は、サービスの提供という大括りの言葉でまとめられてしまうが、実際のサービスと、原材料→最終生産物→消費者へのサービスなど、分けて考えることなしには実態をきちんととらえられない。そうした意味では、むしろ増えたのは第二次産業だったのではないか。逆にいうと、第一次産業中心の社会にあっても第三次産業が大きくなることは原理的にありうる。これら三つの産業形態はよく使われる図式だが、第三次は第一次、第二次とは別の視点でとらえられるべきであり、分析対象としても面白い。