西部邁『福澤諭吉』文藝春秋、1999年12月

福沢諭吉―その武士道と愛国心

福沢諭吉―その武士道と愛国心

■内容【個人的評価:★★★−−】
○序文「境界人」

  • 諭吉の実学にあっては人間交際、つまり社会の場において役立つことが旨とされている。交際が問題ならば、そこには、経済の貨幣のみならず、政治の権力や社会の慣習や文化の価値が互いに絡み合っている。人間を人間たらしめている最も人間的なもの、つまり言語がその絡み合いの主色となっている。

○第一章「徳義」

  • 諭吉にとって文明の名に値しない社会とはどんなものか。私なりにまとめてみると、第一に、衣食住の安楽はあるが自由にふるまうための余裕がない社会、第二に、暮らしの余裕があり、高尚な説を唱えるものもあるが自由が旧制度によって妨げられている社会、第三に、自由は実現されているが暴力による支配という自由までもが許されている社会、第四に、自由も同権も実現されているが全体の公利も自国の何たるかも人間交際の味も知られていないような社会、の四種である。彼は封建社会を第二種の社会とみなしていたようだ。そして私は第四種のそれが二十世紀末の日本であると思う。

○第二章「武士道」

  • より高度の義を発見することに精神の快楽を感じる、そうした義の目的のためには肉体を丸ごと手段と化すことを拒否しない、それが武士道のエッセンスだと私は思う。諭吉の人生は武士道的といってよい。
  • 諭吉は、政治は(法律に基づいて)「懲罰」を行うことはできるが、「勧賞」についてはうまく機能しないともいう。これは法律の本質は禁止にあるという真実を素早く射当てていて、当時としては卓見であると私も思う。

○第三章「報国心」
○第四章「自由」
○第五章「民主」

  • 徳義を確立し品行を堅固にするということは、具体的には職分を守ることだと諭吉はいう。

○第六章「国家」
○第七章「知識人」