郷原信郎『「法令遵守」が日本を滅ぼす』新潮新書、2007年1月

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

■内容【個人的評価:★★★−−】

  • 日本は法治国家であるとされているが、本当の意味でそう言えるかは大いに疑問である。本来、法律が定める制度は、内容が社会の実情に適合し、個人や企業の側に法律を順守する意識が定着していればその機能が十分発揮されるが、法律に基づかない行政指導や非公式な話し合いに基づく解決が常態化している場合には、法律で定める制度はしばしば社会の実態と乖離し、違法行為が常態化することになる。

○第一章「日本は法治国家か」

  • 法令と実態のかい離の典型的な例が、公共調達をめぐる談合問題です。日本では、公共調達について、予定価格を定めて入札を行い、予定価格以下で最も低い札を入れた者と契約するという原則がとられています。この「最低価格自動落札方式」、「予定価格上限拘束」という制度は、明治22年の会計法で定められ、それ以来、まったく変わっていません。
  • 本来は、法令や制度を公共調達の実態に適合するよう見直していくのが当然のことなのですが、日本では、明治時代の会計法で定められた制度がそのまま維持され、それが実態に合わないところを非公式システムとしての談合が補ってきました。業者間での話し合いにより、技術力や信用の面で問題がない業者が選定され、その業者が落札するよう談合が行われ、発注官庁側も、それを前提にして入札前から業者の協力を得て調達業務を行うというのが一般的なやり方になっていったのです。
  • 談合システムが機能していれば、入札・契約の段階では設計図書は不十分なものでもよく、その後は出来高に関係なく工事完了後に残金が支払われるのが普通ですが、この制度は、毎月の工事の出来高の確認をしなくてよいという面で発注官庁側にとってはコストの削減につながる半面、不心得な業者が受注した場合には前払い金の食い逃げが行われる危険性があります。そういう不心得な業者が受注することを防止するうえでも、業者間の談合による、信頼できる業者かどうかのチェックは大きな機能を果たしたのです。
  • 一方、談合システムは受注業者側にも受注量の安定と安定的な利益の確保という面で多大なメリットをもたらしました。しかし、それが不当に過大な利益につながることはありませんでした。「予定価格上限拘束」によって、不当な高値による受注が防止されていたからです。
  • 談合システムは、戦後の経済復興期と高度成長期の特殊な状況でのみ妥当する仮設建築のようなものであった。
  • 独占禁止法は、企業と企業との競争のあり方を定める「競争法」ととらえるのが基本的な考え方であったが、偽牛缶事件を契機に、独占禁止法とその運用を行う公取委の役割は、企業から不当な利益を取り上げて消費者を守ることだという方向に偏ることとなった。
  • 落札率の低下が続けば、工事価格は大幅に低下し、受注業者は採算ギリギリの状態に追い込まれます。このような状況で手抜き工事を防止して工事の品質を確保しようと思えば、受注・施工実績などによって入札参加資格を制限するか、工事監理を厳格化することになりますが、前者は新規参入を困難にするためかえって競争を阻害することになり、一方、後者では工事監理コストが大幅に増加します。
  • 公共工事による社会資本の整備は、総合的にみて良質かつ安全で、しかも安価なものとなるようにするために、いかなる入札・契約制度の下で、いかなる運用を行うのが適切なのかという観点から考える必要があります。会計法が定めている「最低の価格で入札した者が落札する」という建前も、「総合的にみて良質かつ安全で、安価な」調達を実現するという目的のための手段にすぎません。ところが、いつの間にか、会計法の原則を守ることと、価格競争に極端に偏った独禁法を遵守すること、すなわち「談合をやめさせること」が自己目的化してしまいました。このような単純な談合害悪論の前に、従来のシステムは崩壊しようとしています。

○第二章「「法令遵守」が企業をダメにする」

  • ライブドア事件での起訴事実の一つである、自社株の売却益を利益に計上するという行為は、形式的には違法性が認められたとしても、現行法の下ではその程度はかなり低いといわざるを得ない。ライブドア事件での劇場型捜査は、隠されていた巧妙な違法行為を暴き出し、誰もが知らなかった重大な犯罪事実を明らかにするものではない。検察の摘発は以前から指摘されていたライブドアの経営手法の形式的な違法性を問題にしただけでした。
  • 村上ファンド事件は、全体としてとらえれば、どう考えてもインサイダー取引とはいえない事件です。ライブドアによる大量買い付けの前に村上側が株を買ったという事実だけを切り取って、インサイダー取引の要件に無理に当てはめようとすると、プロの投資家が市場で行う通常の行為までが該当することになりかねない。
  • 耐震強度偽装事件についても、もともと建築基準法に基づく建築確認制度があるから担保されてきたのではなく、信用と倫理が支えてきたのである。

○第三章「官とマスコミが弊害を助長する」

  • これまでの事例をみて、これを制度の運用に関する問題であり、法令遵守自体が間違っているのではない、と考えるかもしれない。しかし、日本の経済社会では法令遵守の考え方自体が問題がある。
  • 失敗学の創始者、畑村洋太郎によれば、仕事は基本、重要なものが三角形の頂点にあり、より具体的なことは三角形の底辺にある。本来は頂点に注意が集められていなければならないが、何か事件が起きると細かい法令遵守コンプライアンスに注意が集められる。これを行っていると、基本的なことからは関心が離れていってしまい、新たな問題への対応ができなくなってしまう。
  • 実際の世の中で起きる問題の中には、どの部署の守備範囲にも含まれないものがあります。だれの守備範囲かがはっきりしない問題が発生した場合、法令遵守の考え方からは、法令に基づく所管事項ではないから自分がやるべき仕事ではないといって誰も対応しないこととなります。
  • 法令の制定や改廃を経済実態に即したものにするためには、官僚が経済社会の実情を把握し、理解していることが必要です。そのためには官僚が、経済活動を行っている企業人と十分な意思疎通を図れる関係を維持していることが不可欠です。しかし大蔵省不祥事などの事件を契機に国家公務員倫理法が制定され、関係が切断されてしまった。官僚は実態についての情報源を失い、抽象的な理念や理屈にこだわるようになってしまった。
  • コンプライアンスという言葉を「法令遵守」と訳してしまうことも問題がある。私は、「組織が社会的要請に対応すること」と訳すべきと考える。

○第四章「日本の法律は象徴に過ぎない」

  • 日本の法律は、欧米諸国のように市民社会の中でルールが形成されたものではなく、輸入されて上から降ってきたものである。身近なものではなく、関わりたくないというのが本音である。
  • かたや、日本は成文法の国で、一度法律が定められるとなかなか改正されません。また、弁護士の数もアメリカと比べて少なく、訴訟の場に持ち込まれる社会のトラブルはわずかです。法と実態とのかい離が解消されない状況が続いている一方で、違法行為に対するペナルティは非常に緩やかです。

○第五章「フルセット・コンプライアンスという考え方」

  • コンプライアンスとは、社会の要請に対して応えていくことである。これを五つの側面から行うべきと考える。
    • 1.社会的要請を的確に把握し、組織の方針を明らかにすること
    • 2.方針に従い組織体制を構築すること
    • 3.組織全体を方針実現に向けて機能させること
    • 4.方針に反する行為があったときに原因を究明して再発防止すること
    • 5.一つの組織だけで社会的要請に応えるのが難しい場合、つまり組織が活動する環境に問題がある場合、環境を改めること
  • 組織全体を機能させる方法として重要なものは、内部監査と内部通報である。内部監査は、法令や規則に違反する行為ばかりでなく、組織の方針に実質的に反する行為がなされていないかも対象とする。また、内部通報はセクハラ・パワハラではなく、上位者からの業務命令が組織としての方針に反する場合にその情報を組織のトップに提供して判断を仰ぐことである。