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池波正太郎『男の作法』新潮文庫、1984年11月

男の作法 (新潮文庫)

男の作法 (新潮文庫)

■内容【個人的評価:★★★★−】

  • 理屈でもって全部割り切ってしまおうとすれば、もともと矛盾の存在である人間がつくっている社会の苦痛とか、苦悩とか、苦悶とか、傷痕とかというのはひろがるばかりなんだよ。矛盾人間のつくっている矛盾社会なんだから、それに適応したやり方で人間の社会というものを進歩させていかなきゃならない。科学的に、理論的にすべてを律してしまおうとしたら、人間の社会というのはものすごく不幸なものになっていくわけですよ。必ずしも白と黒に割り切れるものではない。その中間の色というものもあるということですよ。しかし、「融通」ばっかりでも困っちゃう。人間という生き物が矛盾の塊であるからというわけで、またそっちばかり行っちゃったらだめになるわけだよ。要は、その両方をうまく応用してやらなくてはならないということだよ。
  • 女のちから、女の責任というものを男が重みを持って感じていたわけだから。だから、いまの人が、戦国時代の女は虐げられていたなんて決めつけていうのはとんでもないことで、女を蔑視しているというのはむしろ明治からですよ。江戸時代の人というのは、封建時代即ち古いということで十把ひとからげでいわれているけど、女が蔑視されていたということはないんですよ。
  • ちゃんとした店に行くということは、いろいろ勉強になる。ただ食べるということだけでなく、いろいろ相手の気の配り方がわかれば、こっちの勉強になるわけです。だからホテルのバーなんかに行って飲む習慣がつくようになるといいと思うんだね。
  • 気分転換のできない人は仕事も小さくなってくるし、体も壊すことになりがちだね。さりとて神経が太いばかりだったら、何事もだめなんだよ。太いばかりだと馬鹿になっちゃう。隅から隅までよく回る、細かい神経と同時に、それをすぐ転換できて、そういうことを忘れる太い神経も持っていないとね。
  • 銀行なら銀行、役所なら役所にいて、いやなことがあって、むずかしい問題を抱えて悩んでいるときに、ひょいと本屋をのぞいたときに美術関係の本を見る、そのことだけでも、ある程度気分転換はできるわけですよ。
  • 人間の一生は、半分は運命的に決まっているかもしれない。だけど、残りの半分はやっぱりその人自身の問題です。みがくべきときに、男を磨くか、磨かないか、結局はそれが一番肝心ということですよ。
  • 人間は死ぬという簡明な事実をできるだけ若いうちから意識することにある。もう、そのことに尽きるといってもいい。何かにつけてそのことを、ふっと思うだけで違ってくるんだよ。
  • サラリーマンだって、下の仕事、人のいやがる仕事をもっと進んでやるということ、それが大事なんじゃないかと思いますよ。実際ね、やってみればこれが一番面白いんだよ。サラリーマンでは仕事を楽しむなんてとても無理、毎日同じで、単調で、と思う人もいるかも知れないけど、そんなことはない。考えても御覧なさい。僕は役所の、それも税金の徴収係をしていたんだ。そんな仕事でさえ、楽しむことは可能だったんですから。
  • 役人でも会社員でも身銭を切りなさい、と。仕事そのものにね。

■振り返り(2017/03/11)
例えば「蔑視」や「差別」という言葉があるが、人間同士の関係のある側面を切り出してこの言葉をあてはめると、それ以外にも含まれている要素は捨象されてこの言葉だけがすべて(=問題であり、なくすべき)ということになる。しかし、部分要素のジャッジはできても、総合的にどうかという視点はわれわれにはないから、同じ関係性について否定的な見方と肯定的な見方の両方が並立することになる。

また、どうしても我々は、自分の経験や想像による類推しかできないから、昔のことも今の自分の視点でとらえるほかない。先ほどの「見方は一面的にならざるを得ない」という観点に加え、こういったことがどれだけほんとうの理解という面で問題があることをよく認識し、人を判断するというところではなく、自分がどうふるまうか、というところに力を入れるべきであり、それが「男の作法」であるということを池波さんは言っているのではないかと思われる。