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森嶋通夫『なぜ日本は行き詰まったか』岩波書店、2004年3月

なぜ日本は行き詰ったか

なぜ日本は行き詰ったか

■内容【個人的評価:★★★★−】
○まえがき

  • 日本の経済を分析するに当たりどのようなエートスを持った人で構成されているかの視点が重要である。しかし、日本人は第二次大戦での敗戦の結果、いまでは伝統的なエートスを失った国民に生まれ変わっている。
  • 資本主義が成立するためには、強力な中央政府が結成され、全国が同じ法律に従い、移動の自由、職業選択の自由が、どの地方でも同じように保証されていなければならない。さらにその国が外国との競争に負けたり、押しつぶされたりしないためには、国防力が必要であるばかりでなく、関税自主権が認められ、少なくとも出発の初期には適当な高さの関税障壁を適当な期間維持する力を持っていなければならない。

○第一章「序論」

  • 下からの資本主義には、それを支えるにふさわしいエートスがなければならない。国家主義的な儒教は、下からの資本主義を支える役割を果たすことができないばかりでなくそれを阻害する。
  • 戦後の日本経済は、支配的なエートスが戦前派のものから戦後派に切り替わるころに、上からの資本主義から下からの資本主義へ転換する時期は来た。上からの資本主義のもとでは国家の意思が、下からの資本主義の場合は市場の法則がすべてを決めることとなる。
  • そのときに日本型儒教を捨てたのは良かったが、アメリカ式教育に切り替えるのではなく、中国型儒教(日本型のように政府に忠誠を尽くすのでなく、個人の良心に忠実である)に切り替えるべきだった。
  • 私の見る日本の将来像は暗澹としたものにならざるを得ない。

○第二章「イデオロギーと経済活動」

  • 日本型儒教を明確に規定したのは、1890年に公布された教育勅語である。そこでは国民が実践すべき道徳が指示されており、また天皇の責任も明記されている。
  • 日本人は強大な中国に対して常に劣等感にさいなまれており、歴史を通じ一貫して両国は緊密に団結したり攻撃的であったりした。
  • 教育は、半可通のアメリカ式教育であり、儒教的な社内教育は残った。そして、日本人は利害に関して自己中心的で、知識は記憶偏重で、社会活動については自分の主張がない、ということになった。
  • 1990年ごろに、日本人の性格は激変した。日本についての議論は1990年以前と以後に分けて行う必要がある。
  • マルクス流及びウェーバー流の方法はともに、一層広義の経済学に欠かすことのできない要素である。

○第三章「日本における封建体制から資本主義体制への転換」

  • 徳川時代は、都市化の期間(1603-1700)と都市化逆行の期間(1700-1867)がある。前者は武士の経営する藩経済の時代で後者は競争的な商業化した農業の時代である。

○第四章「日本の金融システム」

  • 新古典派革命と呼ばれるものを成し遂げることが1980年代末から1990年代はじめにかけての時代の要請であったが、当時の日本人は投機に走った。

○第五章「私的官僚制としての日本企業」

  • 日本はイノベーションの能力がないとか、日本の科学的能力は主要な技術的発見をするまでに達していないとしばしばいわれる。技術的イノベーションのみならず経営組織の改革もイノベーションと深いかかわりを持つ。この点では日本は優れており、イギリスは無能であった。

○第六章「上からの資本主義のもとでの二極分解」

  • 転職不利性が終身雇用を支えている。また企業別労働組合が市場の圧力をゆがめ、年功賃金は労働者による労働者の搾取につながっている。

○第七章「下からの資本主義を目指しての苦悩」

  • 日本の場合は、民主主義はいまだかつて機能したことがなく、その経済は下からの資本主義に転換する機会を失ったのでシュンペーター的転換は日本では実現しなかった。

○第八章「二十一世紀の日本の前途」

  • 社会の質が悪ければ経済も悪くなる。不良銀行を救済してもよいが、問題はなぜそうした企業が輩出するようになってしまったかということである。
  • 日本の没落の第一兆候は人口の急減である。
  • コンピューター化等により労働者のオフィスでの生活は単純化された。何も判断する必要がない。
  • いったん没落が始まると国民の気質に変化が生じる。
  • 生活水準は高いが、活動力がなく、国際的に重要でない国、これが私の二十一世紀半ばの日本のイメージである。