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マルクス=エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』国民文庫、1965年2月

ドイツ・イデオロギー (国民文庫 6)

ドイツ・イデオロギー (国民文庫 6)

■内容【個人的評価:★★★−−】
○「フォイエルバッハに関するテーゼ」

  • 哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なのはそれを変えることである。

○「ドイツ・イデオロギー

  • われわれが出発点としてとるところの諸前提はどんな勝手気ままな前提でも、どんな教条でもなく、それはただ勝手に頭の中でのみ度外視されうるような現実的な前提である。それは現実的諸個人、彼らの行動、および彼らの物質的生活諸条件である。
  • 共産主義はわれわれにとっては、つくりだされるべきなんらかの状態、現実が則るべき何らかの理想ではない、現在の状態を廃止する現実的運動のことである。
  • 日常生活ではどんな店屋の主人でも誰かが自称するところの彼の人物なるものと、その者の実際の人物との別を非常によくわきまえているのに、われわれの歴史記述はまだこの何でもない認識に到達したことがない。

■読後感
文学は人間を表現し、哲学は人間を解釈する。この営みが累々と行われ、出版されてきた。マルクスは、表現、解釈の積み重ねが現代のわれわれの生命の質的向上に寄与していないとして実践、変革を強調するが、これもまた時代の文学であり哲学であるとも言える。マルクスは、さまざまな思念について、ではそれが何になるのか、という視点があったのではないか。それよりも現実としての毎日の生活を具体的にどうしていくべきなのか、に着目する方がよっぽど利口ではないか、と考えたのでは。
そもそも文学、哲学は、こうした断面があるよ、こうした枠組になっているよ、という発見の喜びを形にしたもので、読者にとってもそうかも知れないが、まずもって著者の喜びであるのだ。
共産主義の考え方は無理がある。よほど人間の本性と合致しない産物である。しかし、もし実現を考えるとすれば、それは技術革新が終了した社会、あるいは、生活を目的としてコミュニティーとしてである。仕事を生活のための手段と位置づけるならば、それは可能である。資本主義社会の中に共産主義コミュニティーが併存するような形式が考えられる。現在、日本社会は資本主義の仮面をかぶった共産主義社会かも知れない。ここに参加できない多くの人が困っている。