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福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書、2007年5月

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

■内容【個人的評価:★★★★★】
○プロローグ

  • 生命とは何か。それは自己複製を行うシステムである。二十世紀の生命科学が到達したひとつの答えがこれだった。1953年、科学専門誌『ネイチャー』にわずか千語の論文が掲載された。そこには、DNAが、互いに逆方向に結び付いた二本のリボンからなっているとのモデルが提出されていた。
  • DNA構造の解明は、分子生物学の時代の幕を切って落とした。
  • 遺伝子ノックアウト技術によって、パーツを一種類、ピースをひとつ、完全に取り除いても、何らかの方法でその欠落が埋められ、バックアップが働き、全体が組上がってみると何ら機能不全がない。生命というあり方には、パーツが組み合わされて作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な重要な特性が存在している。
  • ルドルフ・シェーンハイマーは、生命が動的な平衡状態にあることを最初に示した科学者だった。私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり、次の瞬間には身体から抜け出ていくことを証明した。

○第一章「ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク」
○第二章「アンサング・ヒーロー」

  • ある微生物が必ず病巣から検出されたとしても、この時点ではまだ嫌疑不十分なのだ。二つの事象、つまり微生物の存在と病気の発症はあくまでも相関関係にあるにすぎない。相関関係が原因と結果の関係、すなわち因果関係に転じるためには、もう一つ次へのステップフォワードが必要なのである。
  • 因果関係は、介入実験を行ったとき初めてたち現れる。介入実験とは文字通り、原因と思われる状況を人為的に作り出し、予想される結果が起こるかどうかを試すということである。顕微鏡下にうごめいていた微生物を細いピペットで吸い取り、それを健康な実験動物に接種し、病気が発生するかどうかを確かめればよいのである。
  • ウィルスは、エッシャーの描く造形のように、優れて幾何学的な美しさを持っていた。そこには大小や個性といった偏差が存在しないのである。なぜか。それはウィルスが、生物ではなく限りなく物質に近い存在だったからである。ウィルスは、栄養を摂取することがない。呼吸もしない。
  • しかし、ウィルスをして物質から一線を画している唯一の、そして最大の特性がある。それはウィルスが自らを増やせるということだ。
  • ウィルスが自己を複製する様相はまさしくエイリアンさながらである。ウィルスは細胞に寄生することによってのみ複製する。
  • 細胞の内部に向かって自身のDNAを注入する。宿主細胞は何も知らず、その外来のDNAを自分の一部だと勘違いして複製を行う一方、DNA情報をもとにせっせとウィルスの部材を作り出す。ウィルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである。
  • 結論を端的に言えば、私は、ウィルスを生物とは定義しない。つまり、生命とは自己複製をするシステムである、との定義は不十分だと考えるのである。では、生命の特徴を捉えるには他にどのような条件設定がありえるのか。生命の律動?そう私はさきに書いた。

○第三章「フォー・レター・ワード」
○第四章「シャルガフのパズル」

  • DNAの二重らせん構造の秘密にあと一歩まで迫りながらも、アーウィン・シャルガフはそれを果たせず、あとから岩壁に取りついた新参者の若造二人に登頂の栄誉をさらわれた。
  • しかし、これらの解明に多大な寄与を行った数々の著名な科学者をしても、あるとてもシンプルなアイデアに思いが至ることはなかった。PCRのミソは単にDNAを複製するだけでなく、ごちゃまぜのDNAの中から、特定の一部だけを抜き出して増幅することを可能としたところにある。

○第五章「サーファー・ゲッツ・ノーベルプライズ」

  • 思うに任せぬ実験に日夜明け暮れ、ようやく博士号にたどり着いたはよいが、先の視界はあまり開けていないのが普通だ。研究者としての就職口はごく限られている。
  • 助手に採用されるということはアカデミアの塔を昇るはしごに足をかけることであると同時に、ヒエラルキーに取り込まれることでもある。
  • 経験を積めば積むほど仕事に長けてくる。何をどうすればうまくことを運ぶのかがわかるようになり、どこに力を入れればよいのか、どのように優先順位をつければよいのかが見えてくる。するとますます仕事が能率よく進むようになる。何をやってもそつなくこなすことができるようになる。そこまではよいのだ。しかしやがて、最も長けてくるのは、いかに仕事を精力的に行っているかを世間に示すすべである。
  • ポスドクは、独立研究者がグラントで雇い入れる傭兵である。

○第六章「ダーク・サイド・オブ・DNA」

  • フェルマーの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズの業績は、メディアがそのように報道したことにより初めて一般の人々に大発見であることが認知された。ワイルズの発表を聞いて当時その意味を理解できた人間はほとんどいなかったのであり、現在でもほとんどいないのである。このような事態は、今や細分化されたすべての専門領域で起こりうる。ある研究成果の価値を判定できるのはプライド高き本人を除くと、ごく少数の同業者でしかないということである。

○第七章「チャンスは、準備された心に降り立つ」

  • 「DNAの結晶構造はC2空間群である」この一文は、そのままクリックのプリペアード・マインドにストンとはまった。あたかもジグソーパズルの最後のピースのように。
  • フランクリンは、研究テーマをDNAからタバコモザイクウィルスに変えて、死の直前まで研究に邁進していた。彼女はその立体構造をほぼ解き終わっていた。仕事は演繹的なジャンプを許さない完璧な帰納的アプローチによってのみ構築されていた。

○第八章「原子が秩序を生み出すとき」

  • シュレーディンガーは、次のようにいっている。生きている生命は絶えずエントロピーを増大させつつある。つまり、死の状態を意味するエントロピー最大化という危険な状態に近づいていく傾向にある。生物がこのような状態に陥らないようにする、すなわち生き続けていくための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである。実際、生物は常に負のエントロピーを食べることによって生きている。
  • 実は、生命は、食物に含まれている有機高分子の秩序を負のエントロピーをの源として取り入れているのではない。生命は、その消化プロセスにおいて、タンパク質にせよ、炭水化物にせよ、有機高分子に含まれているはずの秩序をことごとく分解し、そこに含まれる情報をむざむざ捨ててから吸収しているのである。なぜなら、その秩序とは、他の生物の情報であったものであり、自分自身にとってはノイズになりうるものだからである。とはいえ、シュレーディンガー省察のうち、食べることがエントロピー増大に抗する力を生み出すという部分は、的確なものであった。

○第九章「動的平衡とは何か」

  • タンパク質とはアミノ酸が数珠玉のように連結してできた生体高分子であり、酵素やホルモンとして働き、あるいは細胞の運動や形を支える最も重要な物質である。
  • 体内に取り込まれたアミノ酸は、さらに細かく分断されて、改めて再分配され、各アミノ酸を構成していたのだ。それがいちいちタンパク質に組み上げられる。つまり、絶え間なく分解されて入れ替わっているのはアミノ酸よりもさらに下位の分子レベルということになる。
  • シェーンハイマーはこう述べている。生物が生きている限り、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化してやまない。生命とは代謝の連続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。
  • エントロピー増大の法則は容赦なく生体を構成する成分にも降りかかる。高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷をうけ変成する。しかし、もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行うことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる。
  • 生命とは動的平衡にある流れであると定義できる。

○第十章「タンパク質のかすかな口づけ」
○第十一章「内部の内部は外部である」
○第十二章「細胞膜のダイナミズム」

  • ニューヨークにあってボストンに欠落しているものが何であるかがわかった。それは振動だった。町をくまなく覆うエーテルのような振動。

○第十三章「膜に形を与えるもの」
○第十四章「数・タイミング・ノックアウト」

  • 異常はどこにも認められなかった。顕微鏡下、円形の視野に広がるGP2ノックアウトマウスの細胞はあらゆる意味で、まったく正常そのものだった。

○第十五章「時間という名の解けない折り紙」

  • プリオンタンパク質を完全に欠損させたマウスは異常にならない。ところが頭から三分の一を失った不完全なプリオンタンパク質はマウスに致命的な異常をもたらしてしまった。

○エピローグ

  • 生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折り畳まれている。それが動的平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである。

■読後感
本書は新書界の超ベストセラーであるが、読んでみて非常に構成が上手で引き付ける力を持っており、次は?次は?と読み進めたくなる。
読みながらにしてニューヨークやボストンに自分がいるような気分になり、またセレンディピティの瞬間や研究者同士の相剋などが臨場感をもって伝わってくる。また、海浜の砂の城の描写など、一つひとつの情景場面が見事に美しい。
ワトソンの自伝では、フランクリンのX線写真を見てすぐにDNAの構造に思い至ったように記されているが実はそのときワトソンは気がついておらず、本当に気がついたのはフランクリンの論文を見たクリックであったところなどは、迫真の記述である。
また、ここはというところでは科学の知見を分かりやすく説明しているとともに、研究者として自らの感覚をふまえ生物そのものを語っている。見事な作品と言わざるを得ない。