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村上春樹『意味がなければスイングはない』文春文庫、2008年12月

意味がなければスイングはない (文春文庫)

意味がなければスイングはない (文春文庫)

■内容【個人的評価:★★★★−】
シダー・ウォルトン

  • 普段はおとなしくて、積極的に前に出て発言することもないからそんなに目立たないけれど、大事なときがくると立ち上がって言葉少なに、しかし整然と正論を述べる。その言葉にはたしかな重みがある。喋り終えると席につき、また静かに他のひとの意見に耳を傾ける。

ブライアン・ウィルソン

  • ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』もやはり同じように深い内容を持ち、ロック音楽の歴史を変えてしまうパワーを有した音楽だったが、それは誰をも裏切っていなかった。
  • 音楽的に見ても『サージェント・ペパーズ』は一目でそれと視認できる普遍的な世界観を内包していた。それは、ジョン・レノンポール・マッカートニーという、二人の優れた才能の共存に負うところの大きいものだった。彼らはチームを組んで互いを高めあい、牽制しあい、客体化しあい、そのような作業の中から次々に力強い成果を産み出していった。しかし、彼らと違ってブライアン・ウィルソンの作業はどこまでも孤独だった。
  • 『サージェント・ペパーズ』というアルバムの価値と革新性を理解することは比較的すぐにできたが、『ペット・サウンズ』がどれほど優れた、どれほど奇跡的な深みを持つ、どれほど革新的な音楽であったのかを理解するためには、時間性の調整を待たねばならなかった。

シューベルトピアノソナタ第十七番二長調』D850

  • いったいフランツ・シューベルトはどのような目的を胸に秘めて、かなり長大な、ものによってはいくぶん意味の汲み取りにくい、そしてあまり努力が報われそうにない一群のピアノソナタを書いたのだろう?
  • 事実、彼の書いた『楽興の時』や『即興曲』といったピアノ小品集は長い歳月にわたって人々に愛好されてきたではないか。それに比べると、彼の残したピアノソナタの大半は、雨天用運動靴並みの冷ややかな扱いしか受けてこなかった。
  • シューベルトは、ピアノソナタを書くとき、頭の中にどのような場所も設定していなかった。彼はただ単純にそういうものが書きたかったから書いたのだ。お金のためでもないし、名誉のためでもない。
  • でも、なにはともあれ僕はシューベルトピアノソナタが個人的には好きだ。結局のところシューベルトピアノソナタの持つ冗長さやまとまりのなさやはた迷惑さが、いまの僕の心に馴染むからかもしれない。
  • 時代的なことを言えば、我々はあらゆる芸術の領域において、ますますソフトな混沌を求める傾向にあるようだ。ベートーヴェンの近代的構築性やモーツァルトの完結的天上性はときとしてわれわれを息苦しくさせる。
  • クラシック音楽を聴く喜びの一つは、自分なりのいくつかの名曲を持ち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではないだろうか。

フランシス・プーランク

  • コンサート・ホールで目にする客層も、ロンドンとニューヨークでは色合いがかなり異なっているような気がする。ニューヨークの聴衆は、ロンドンの聴衆と比べるとなんとなく知的にとんがっているところがある。がんばっているというか、眉間にいくぶんしわがよっている。ロンドンの聴衆はもう少しリラックスしている。どことなく「しょせん昨日の続きが今日で、今日の続きが明日だから」みたいな雰囲気がある。

■読後感
『サージェント・ペパーズ』について触れている部分があるが、あの独特の世界はビートルズの音楽の集大成の感がある。日常(A day in the life)に足を置きつつ遥か彼方へ突き抜け、そして戻ってくる。実にイギリス的というほか表現のしようがない。インドのエキゾチシズムと西欧文明を往復している。そこには暗さはなく一種爽やかな無常観があるように思われる。
シューベルトピアノソナタについては、これを読んではじめてアンスネスの二長調ソナタを聴いた。たしかにとりとめがなくて、なんだこれは?と思わせるものがある。19番以降のソナタとはずいぶん違う印象である。軽い?シンプル?
私的には、絶望から高揚、これを苦もなく移動しながら楽曲を編んでいるスタイルがシューベルトの凄さだと思う。「微笑みながら自殺する」ウィーン人気質をフリードリヒ・グルダはライナーノーツに記していたが、シューベルトピアノソナタはそのような気質がかたちをとったもののようだ。最後はありふれた日常に戻り、それまでたどった世界は記憶の彼方へ過ぎ去ってしまう。