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宮本輝「泥の河」(『蛍川・泥の河』新潮文庫、1994年12月所収)

蛍川・泥の河 (新潮文庫)

蛍川・泥の河 (新潮文庫)

■内容
昭和30年の大阪、安治川河口近くの小さなうどん屋に生まれた少年と、漂泊の屋形船で母、姉と暮らす少年との交流を描く。

■読後感
筆者は、当時の大阪の暑熱、臭い、猥雑さなどを映し出すとともに、周りの人々との心理的な交流を詳細に描いている。

少年は、活気ある日常を送りながら、身の周りには死の陰が満ちている。可愛がってくれた荷運びのおっちゃんは自分の荷馬車に轢かれて死に、釣りえさの沙蚕をとっていた老人も小舟から川へ姿を消す。そして屋形船の母親は戦争で受けた傷がもとで夫を失い、労働者に身体を売るしかなく、その生活はその日の米や水に困るほど窮している。

一生懸命生きて、そして「すかのように」死んでいく人々。これは当時30歳の筆者の内奥世界を小説という形で映し出したものに違いない。また筆者ならずとも当時を生きた人びとであれば心のどこかにこの空気の一部が残っているのではないだろうか。

読み終えて心が虚ろになる感覚を味わった。現代のわれわれとは大きく異なる時代背景ではあるが、人間存在の哀しみを前提とした上で、何か薄ぼんやりと、またときに鮮やかに灯る個々の存在の美しさというものを筆者は見事に描き出していると感じた。