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橋本治『貧乏は正しい!ぼくらの東京物語』小学館文庫、1998年7月

貧乏は正しい!―ぼくらの東京物語 (小学館文庫)

貧乏は正しい!―ぼくらの東京物語 (小学館文庫)

■内容【個人的評価:★★★−−】
○第一章「「イナカ」とはなんなのか?」
○第二章「すべてのイナカにはなんにもない」

  • 人はなぜトカイに憧れるか?それは、自分になりたいからだ。
  • 人間は、誰でも「自分」になりたい。しかし多くの人間は、生きていくことにやっとで、「自分」などというゼータクなものを手にすることができない。学生というのは、まず「生きていくのにやっと」という状態からは無縁な時期の生き物だから、「自分」という当たり前のものを平気で前提にしてしまうが、世の多くの人間は学生なんかじゃなくて、「生きていくことにやっとだから、自分などという贅沢なものを手にすることができない」だったりもするのだ。
  • 江戸時代の地方文化は、中央から植え付けられるものではなくて、その地域に眠っているものを掘り起こし育てることだった。こういう努力がされたのは、戦国時代から江戸時代までで、その後にはないといってもいい。
  • 明治政府にとって、地方というものは、相変わらず江戸時代の中に埋没しているもので、近代化なるものを理解しているのは、我々政府の人間ばかりなんだから、当然のごとく、遅れている地方に進んでいる中央から指導者を送る、にしかならない。
  • なんとかする方法はないんだろうか?それは、「中央」という発想から手を切って、自分達の頭で考えることだ。
  • すべての地方は、それがまともなものとして機能するためには、それぞれの「頭脳=中央」を持たなければならない。
  • 一番難しいのは、自分の頭でものを考える、だけれども、残念ながら道はそれしかないのだ。

○第三章「トーキョーというへんな大都会の研究」

  • 端から端まで歩いていけないような都市というのは異常な都市なんだ。それが19世紀までの常識。つまり、東京は20世紀になって発達した異常な都市だということね。

○第四章「閉ざされた小さなイナカの大トカイ」
○第五章「「自分の世界」と「他人の世界」」
○第六章「日本がトーキョーになっていく頃」

  • 地方というものが、もうユーミンが青春時代を送っていた頃の東京と同じ内実を備えてしまったということだ。
  • 地方は、トーキョーになった。そしてしかし、その地方は、いっこうにパッとしないーそれが現実だ。
  • 都会としてのトーキョーが好きじゃない東京人というのは、実のところいっぱいいる。

○第七章「若いきみたちにお願いしたいことがある」

■読後感
この書でいっているイナカは、具体的な場所としての田舎でもあるが、それ以上に人間の「意識のあり方」に着目した概念でもある。
トカイは金の集まるところだが、金のあること=自由ではない。しかし、トカイは既得権に覆われたイナカよりも自由にものを考えることのできる土壌がある。逆に言えばイナカであってもそうしたことを実現することは可能である。
地方分権が進み、中央がすべてを決める、という時代は終わったが、相変わらず地方都市は遅れたトーキョーでしかないという現状にあり、そうした現状を改めるには自分たちでものごとを考える、あるいはそうした環境をつくる、ということしかない。以前は中央VS地方だったが、今はトーキョーVS地方に対立の構図が変わっている。
自分自身、都市というものを考えていた時期には、結局地方都市は、東京から何年遅れているか、ということでしかその個性がはかれなくなっていると感じていた。本来であれば、経済成長がバブルという形ではじける前にそうした取り組みができればよかったが、今では、経済活動自体が以前のような活力を持っておらず、経済活動そのものとも言える都市が魅力ある土地になるには難しい状態にあることだけは確実だ。リアルでなくバーチャルで、ハードでなくソフトで、という形が可能な手法かもしれない。あくまでも人が自ら考え、貧乏でありながら自由である、という状態を実現するということだろう。