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橋本治『貧乏は正しい!ぼくらの資本論』小学館文庫、1998年10月

ぼくらの資本論―貧乏は正しい! (小学館文庫)

ぼくらの資本論―貧乏は正しい! (小学館文庫)

■内容【個人的評価:★★★−−】
○第一章「昨日までの習慣、今日からの前提」
○第二章「そこに隠されているさまざまな問題」
○第三章「「家」というもの」
○第四章「家と会社あるいは、権利と幻想」
○第五章「財産という幻想」

  • 賃貸で高い家賃を払い続けているよりも、それより少し安い額のローンを払って家を買ってしまった方が、家と言う財産だって手に入るんだから、買った方がずーっとお得ですよと言われて、それでもノーと言える人は、そういないだろう。だから、そうやって人は自分の家を買ってしまう−あるいは、買わされてしまうことになる。
  • しかし果たしてその財産は、本当に財産に値するものなのだろうか。賃貸ですむものをわざわざ買ってしまったということもある。
  • 大きくなってしまった子どもにとって、その家はもう狭いのだ。つまり、その家はもう役に立たない。
  • 若いやつは、その中途半端になってしまった町の自分の親の家をでて別のところへ行く。町ぜんたいはさびれて、その町にたつ家からは財産の価値がなくなっていく、これが日本の現状なんだ。
  • 日本の住宅地というところは、衰退というとんでもなく恐ろしい要素を抱えてごみごみとしている。それは、ローンで当たり前に買える程度の、中途半端な家ばっかりがどんどん建ってしまった結果なんだけれども、じゃ、どうしてそういうことになったのか。それは家と言うのは財産だ、だから、どうせ金を出すのならば、借りるより買った方が得だ、という幻想に騙された結果だね。べつにそんなものは財産に値するようなたいした財産でもないのだけれど、人間というのはだまされやすいものだから、財産という言葉を聞いただけで、コロッとその気になってしまうんだ。
  • 私は現に自分の家を二軒も持っている人間で、その自分の家を持たされてしまったことのアホらしさを重々承知してこう言っている人間なのだ。
  • だから私は、天下晴れて大声で言う、「バカらしいからやめときな!」と。
  • なんで俺はバカみたいな借金を払ってちゃんとした自分のすみかがないんだと泣いている。
  • 日本という国は、そもそも、自分で家や土地を持っている必要のない国だったんだぞ。
  • 財産を持つということになにかいいことってあるのか?
  • 勤務先に通う給与生活者のサラリーマンには自分の家を持つなんてことは全然必要じゃないんだ。
  • マイホーム主義者のサラリーマンたちは、すべての前提は借金ができることである、という資本主義社会の事業をしたり商売をしたりする人間の論理に組み込まれて、それでわざわざ郊外というところを、ごみごみとした汚いところに変えてしまうようなせこい建物の一部を買わされて、それで環境破壊の犯人にされてしまっている、世にも情けない加害者だということになる。

○第六章「ああ、資本主義・・・」

■読後感
この本では、古代にさかのぼって、家制度や財産というものを説き起こしている。家制度は、戦前までの考え方であり、今では、親と子は他人であるということを前提に相続税制度が存在している。
つまりは、「受け渡される財産」という側面からみると、戦後は大きく変質しているということになる。そうした状況下で、土地や家という「財産」には、永続的に利用できるといった用途もなく、借金のカタにできる程度の値打ちしかない。場合によってはお荷物でもあり、わずらわしい存在にもなる。ところが財産=ステータスという幻想(これは農民には当てはまっても給与生活者には当てはまらない)が、家を持つという「神話」を支えている。
家を持つということは、日本経済の有効需要のおいて大きな要素ではあったが、それが因習的な観念や近視眼的な考え、「お得ですよ」、という根拠のない説得に基づいてなされていることを、著者は自らの経験をもとに伝えている。そしてそれこそは資本主義=金を借りて、これに利子をつけて返す、というダイナミズムそのものであることも併せて言っている。
最終的に著者は「金がなんだ」として、マネー至上主義に対するアンチテーゼ、本来は自身で深く考えるという取り組みこそが人間が目指すべきものだったのでは、と言っているようだ。
個人的な観点からは、このシリーズでは「ぼくらの未来計画」がもっとも興味深かった。この巻「ぼくらの資本論」は「資本論」というには言っていること自体はシンプルであり、これほどの紙幅は必要ではなかったのでは、とも思えた。