五木寛之、塩野七生『おとな二人の午後』世界文化社、2000年6月

おとな二人の午後―異邦人対談

おとな二人の午後―異邦人対談

■内容【個人的評価:★★★−−】

  • (五木)じつはぼくはホテルが趣味みたいなものでしてね。旅をするといちばんこだわるのがホテルなんです。
  • (塩野)もし『ローマ人の物語』を全巻書き終えて、まだ生きていたら、日本に帰って私もホテルに住もうかと思っているの。そのときに家をもとうとは思わないんですねえ、ちっとも。
  • (塩野)私が老後をホテルに住もうかと思い始めたわけのひとつは、そのきちんとするための要素としてなのね。
  • (塩野)よく日本人は自分の個性にあったよう服を着ようという感覚でしょう。そんなものじゃないのね、本来、洋服の個性を着るんですよね。
  • (五木)いつかミラノスカラ座で『カルメン』をやってたんですよ。美術がフランコ・ゼフィレッリだったんだけど、その舞台美術のすばらしさっていったらなかった。で、そのまわりに暮らしてる人たちがいるわけでしょう。『カルメン』を上演しているときには、スカラ座の近くの商店街のショーウィンドウが自発的に、赤と黒でディスプレイをずーっとやってました。
  • (塩野)色ってやはり、否応なく歴史なのよ。
  • (塩野)カエサルは百八十センチは超えてたわね。スッラも同じぐらいありました。骨の発掘による研究があるんですね。それで大体類推できる。やがてローマ帝国が滅亡しますね。中世にはいると、日本では中世は暗黒ではなかったという学者もいるけれど、やっぱり骨を調べていくと暗黒なんですよ。グーッと背が低くなってくるの。それがもとに戻るのは、なんとルネサンスになってからなんです。
  • (塩野)日本が肉食でなかったのは、たんに草食と肉食の差ではなくて、要するに相当期間平和だったということです。安全が保障されると農耕民族になるんですよ。
  • (塩野)ローマって小さな政府なんです。その代わり社会福祉を忘れてた訳じゃない。貧民には小麦を無料で配給していたから。別に思想でもなんでもなく、やっぱり弱者を切り捨てるのは長期的には社会にとって損になるというわけなんですね。
  • (五木)ぼくは可能な限り病院にいかないように努めています。
  • (塩野)私も一切病院にはいかないの。もう死んだら死んだときでね。
  • (塩野)われわれが考えるフィロソフィとサイエンスはギリシアアテネで生まれたといいますね。このサイエンスをイタリア人はどう解釈するかというと、「自分の頭で考えて、そのうえでまとめて表現しなければサイエンスにならない」とダンテは言ってます。つまり、サイエンスも表現にまでいかなければならないわけですよ。
  • (塩野)私がワインを選ぶときはね、ぜんぶストーリーがある。むしろ私なんかはワインのいい悪いって、そんなに神経質になるような問題じゃないと思うの。それほど客観的な基準なんて、悪いけどないのよ。
  • (五木)オペラも自分の贔屓をつくる方がいいし、バレエなんて、ある意味ではあの時代に、あそこまでエロティックな格好ができるのはバレエだけだったはずです。バレエくらい人の心を刺激するものはなかった。
  • (塩野)何人贔屓がいるかで、人生の楽しみも膨らみますね。
  • (塩野)ローマなんぞ関係ない、ルネサンスも知らなくたって構わない、だけどちゃんと立派に生きている人に読んでもらいたい。で、それは決して具体的にちっとも役にはたたないんですよ。けれど、彼らに考える刺激を贈りたい。

■読後感
内容もいいが、成熟しておしゃれを楽しむ男女のカッコよさが伝わってくる対談風景の写真がよかった。絵になる二人だ。
対話に登場するブランドの名前では腕時計くらいしか分からなかったが、「ヴァセロン・コンスタンティン」、「ジャガー・ルクルト」など知っている限りで最高級というブランド名が挙げられていた。
おしゃれの話については、男女の温度差も感じられて面白い。五木さんがおしゃれを重視しつつ基本的な価値は実用性に置くのに対して、塩野さんはデザインや組み合わせでいかに自分を高めることができるかというところを重視しているようだ。
共通しているのは、一生一回限り、あの世にお金を持っていけるわけではない、それだったら生きたお金の使い方をしようという認識だ。
塩野さんは、国の姿というものを頭にありありと、独自の流儀で描くことのできる人だ。