宮台真司『14歳からの社会学』世界文化社、2008年11月

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に

■内容【個人的評価:★★★−−】
○1 「自分と他人」

  • 「一流」大学や「一流」企業に入っても、会社を興して成功して金持ちになっても、自分の人生が「承認」から見放されているのであれば、いずれ君はさびしく死んでいく人間であることに気づかされるだろう。

○2 「社会とルール」

  • どんな行為をすれば人が幸せになるかを考えるのが行為功利主義、どんな規則が人を幸せにするのかと考えるのが規則功利主義、この2つはしばしば対立する。
  • ぼくのいうエリートは、東大→官僚=自己実現みたいなタイプの人間じゃない。幸せは人それぞれの今の社会でそれでも多くの人が幸せになれるルールがあるはずだと考えられるタフな人間のことだ。

○3 「こころとからだ」
○4 「理想と現実」

  • 歴史的な背景があって、とかく日本人は、諸外国の人々に比べて、仕事を実際以上にきれいなものに見てしまいがちだ。仕事を生活に必要なお金を稼ぐ手段と考えず、自分達の生き甲斐とかみんなのきずなみたいにとらえてしまうんだ。
  • 人が思いつかないことを思いつき、思いつくだけでなく、そこへ向けて人を動員できる人が、エリートの資格を与えられるようになる。
  • ぼくが、就職活動をひかえた学生に、いつもいっていることがある。それは、自己実現できる仕事があるという考えを捨てろ、そんな期待を持つほどがっかりする。そうじゃなく、どんな仕事をするんでも自分流にこだわることだけ考えろということだ。

○5 「本物とニセ物」

  • 昔は共通前提があったおかげで「みんな」のイメージがはっきりしてた。だから先生も「みんなの先生」だった。
  • 「共通前提」があった昔は、たとえ呑んだくれの親でも、親がいうことは「世間の誰もが言うこと」で、親や世間の大人の説教には、効き目があった。
  • 小室直樹廣松渉も信じられないほどの知識の持ち主だ。そしてその信じられないほどの知識量が、人格のなかにきちんと構造化されている。
  • こういう感染動機からものを学ぶやり方をたぶん君は知らないだろう。これ以外の競争動機や理解動機で先にすすんでも、砂粒のような知識の断片が集まりがちだ。
  • 感染動機が最も強い内発性を与える。内発性とは内側からわき上がる力だ。
  • 人間にとって最初の学びはまねできることの喜びに突き動かされたものだ。
  • ミュージシャンは優れたプレイヤーの演奏を徹底的にコピーして、やがて自分の演奏スタイルを作る。小説家だって同じだ。優れた作家の作品を徹底的に読み、文体模写なんかしながら、いつしか自分の作品世界を作る。学問だって同じ。大切なのは感染だ。

○6 「生」と「死」
○7 「自由」への挑戦

  • 社会学では、「自由」を客観的なものだとは認めない。でも主観的には「自由」がある。
  • 純粋理性批判』で自然界の決定論を擁護したカントは、『実践理性批判』で人間界の非決定論を擁護した。そうすることで人倫の世界−善し悪しの世界や責任のあるなしの世界−を基礎づけようとした。カントの考え方を、社会学もまた支持している。
  • 社会では「因果」でなく「意思」が出発点だ。出発点だから「意思」の前には遡らない。「主意主義的世界観」という。
  • カントのすごいところは、「世界−ありとあらゆる全体−はどうだか知らないけど、社会−あらゆるコミュニケーションの全体−は主意主義的にできあがっている」と見通したことだ。
  • パーソンズは、ホッブズの「性悪説」とロックの「性善説」を比較した。ロックという人は、人間には生まれつき社会性が宿っているとした。みんなと調和しながら生きていこうとするから社会がちゃんとするんだとした。パーソンズはこっちの方がいいと考えた。
  • 人には生まれつき「内なる光」が宿るのではない。せいぜいあとから埋め込まれる。うめこむのは誰か。親や先生だと考えれば、同時代の教育哲学者デューイの考えと同じになる。パーソンズはそう考えなかった。「内なる光」をうめこむもの−それは社会だと考えた。
  • 暴力をおそれて秩序ができるのでなく、人々が端的な「意思」で秩序を作るのがいい。でも「意思」は社会によって方向付けられている。こうした考え方を彼は「主意主義的行為理論」と呼んだ。

■読後感
著者は、知識よりもまずその「人」に注目する。感染して、こうなりたいと思わせる存在に接することができるかどうかがカギだと説いている。共通前提が失われたいま、スゴい人に三人でよいから接して、自分を固め、そして(自己実現ではなく)自分らしく振る舞えるようにしたい。

たしかに、自分が学生の頃、スゴい教授がいた。私財も何もなげうって、あらゆる情報に目配りし、自分の分野を超えて本を研究し、その著者が驚くほどの深い掘り下げ方をしてしまう。

破滅的にものすごい取り組みがあってはじめて到達できる境地といっていいだろう。生半可ではあの境地に達することはできない。大学の教官でそれだけスゴいひとは稀有だ、しかし大学という場所にはそんな人がたしかにいる。