小山田浩子『穴』新潮社、2014年01月

穴

■内容
 非正規社員として働く女性、あさひが夫の転勤とともに夫の実家の隣の借家に転居することとなり、それ以来専業主婦としての生活の中での感じた思いや、周囲の人々との不思議な関係を描いた話です。
 あさひは、夫の異動とともに、同僚からもうらやまれて専業主婦としての生活を始めます。しかし、その生活とは、それまでのような不平がありながらも日々行うべき仕事があった毎日とは異なり、手応えがなく「昼寝するしかない」毎日でした。あさひは、たった一日で「理想の暮らし」に退屈してしまいます。あさひは、そうした中、90歳を超えた義祖父の不思議な行動を観察したり、存在すら知らなかった義兄、そして黒い獣との不思議な遭遇を体験します。

■読後感
 不思議な体験もあるとはいえ日常の風景をたんたんと描きながら、先に読み進ませる力をもった作品でした。風景や人物のディテールの描写が見事でした。また、作品から感じられる、今を生きるわれわれとの共通項、一見ステロタイプ的な「幸せ」の姿には、実態と空虚さが同居しており、とらえどころのなさを持っていることをよく浮き上がらせていました。
 物語に不思議さと怖さを併せ持った作品でしたが、選者の山田詠美さんが言っているように、「〈陶器の人形のよう〉に眠る主人公の夫が一番怖い」という言葉が的を得ています。この夫は正社員としてきちんと働きつつも、家に帰ってくると携帯を片時も離さない。いわば普通のわれわれの姿そのものです。冒頭では理想の専業主婦もライフスタイルとして恐ろしさを持っていることを描いていますが、正社員として働く姿(夫、義母)も同様に空々しく、恐ろしいのです。この夫婦関係は、それは何とも言えない「関係性というものにのみ立脚した関係」であり、漠然とした不安定さを持っています。こうした夫婦の姿も同時代を生きるわれわれをうまくとらえているように思われました。この小説で一番人間味があったのは、この世のものではないような義兄(ひきこもりなのにひきこもりらしくない)であったかもしれません。