永井均(2009)『子どものための哲学対話』講談社文庫
- 作者: 永井均,内田かずひろ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/08/12
- メディア: 文庫
- 購入: 10人 クリック: 63回
- この商品を含むブログ (22件) を見る
◇人生における「目的」と「手段」
- 人生はね、目的と手段をはっきり分けることができないんだよ。手段であったはずのことが、いつのまにか目的そのものになっちゃうってことこそが、人生のおもしろみなのさ。(16ページ)
◇「遊ぶ」とは
- 「遊ぶ」っていうのはね、自分のしたいことをして「楽しむ」ことさ。そのときやっていることの中だけで完全に満ちたりている状態のことなんだよ。そのときやっていることの外にどんな目的も意味も求める必要がないような状態のことなんだ。(19ページ)
◇誰かに認められるのではなく、自分で満ち足りる
- 根が明るいっていうのはね、なぜだか、根本的に、自分自身で満ちたりているってことなんだ。なんにも意味のあることをしていなくても、ほかのだれにも認めてもらわなくても、ただ存在しているだけで満ちたりているってことなんだよ。それが上品ってことでもあるんだ。(22ページ)
◇求められる助け方とは
- もし、きみ自身が深くて重い苦しみを味わったことがあるなら、それとおなじ種類の苦しみを味わっている人だけ、きみは救うことができる可能性がある。そういう場合だけ、相手が助けてもらったことに気がつかないような助けかたができるからね。(36ページ)
◇趣味の洗練とは
- そうやって楽しさの質がだんだん微妙で繊細なものになっていくんだ。そういうのを趣味の洗練っていうんだけど、より楽しく、より深く楽しむためには、そういう洗練された趣味を身につける必要があるんだよ。(47ページ)
◇大人とは
- 自分に起こるいろんないやなこととか、不愉快な気分なんかを、自分の中でうまく処理する方法を身につけている人が、ほんとうの意味でのおとななんだよ。(58ページ)
◇人間にとってなにより大切なこと
- 人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべき、なによりたいせつなことなんだ。そして、友情って、本来、友だちなんかいなくても生きていける人たちのあいだにしか、成り立たないものなんじゃないかな?(69ページ)
◇やりとげようとするな、始めよう
- なにかをやりとげようとしないで、ただ、やりはじめようとするんだよ。やりはじめるだけでいいって考えるんだよ。(72ページ)
◇眠るとは
- 人間がするたくさんのことのうちには、自分の力では絶対に実現できないことがあるんだ。眠ることがその代表だな。眠ろうとしてふとんに入ったら、あとはきみにできることはなにもない。ただ待っているほかはないんだ。そうすると、いつか、時がきみを眠らせてくれるんだよ。それをただ待つしかない。自分でなにかをしようとしたら、かえって妨げになるんだ。(77ページ)
- 眠ってから入る世界のほうを、あらかじめ自分で勝手に作っちゃうほうが、かんたんなんだよ。むかしのことを思い出してもいいよ。要するに、眠ってからゆめ見るはずの夢の世界を、自分で勝手に作っちゃって、その世界の中で生きている気になっちゃうのさ。それが完壁に成功して、ふとんの中にいることをわすれてしまったとき、きみはもう眠っているんだ。(79ページ)
◇死とは
- 自分の死っていうのは、ほんとうは、世界の中で起こるひとつの出来事ではないんだよ。自分が中心にいた、その世界そのものが、消滅するってことなんだよ。でも、生きているあいだは、それは想像することもできないのさ。夢の中にでは夢の外のことが考えられないことに似ているな。(120ページ)
ものごとの根本に関わることは、常にではないけれども頭の隅にあってたまに頭をもたげてくる。そんなときに大きな力となるのがこの本ではないかと思う。タイトルこそ「子どものための」となっているけれど、これは十分大人が人生で迷ったときの道しるべになる本だと思います。
大人は生きて行くためのいろんな工夫をする。それこそが唯一大人をして大人たらしめている部分である。しかし、大人であるが故に制御できなくなる部分もある。
何をして生きて行くべきか、という問いは、自我に目覚めて以来のものだと思うけれど、この本では、「遊ぶ」ことを物事の根本においている。それがどう役に立つか、人のためになるか、ではなく楽しむのだという。これは、言葉としては言いやすいかもしれないが、難しい。というのは、人は内面に蓄積する判断基準を概ね外界から得たり、強制されたりしているからである。
そう、この本で言っている最も大事なこととは、「常に自分で考える」「物事の根本こそ自分で考えよう」ということであろう。