読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

松岡正剛(2009)『多読術』ちくまプリマー新書

多読術 (ちくまプリマー新書)

多読術 (ちくまプリマー新書)

■内容【個人的評価:★★★★−】

◇まずは、本の内容を目次から想像してみること

  • 目次を見て、ごくごくおおざっぱでいいから、その本の内容を想像するというのが大事なんですね。わずか三分程度のちょっとしたガマンだから、誰でもできる。そうしておいて、やおらパラパラとやる。(70ページ〜71ページ)

■コメント「どうしても読書は受け身になりがちになる。そうではなく著者と読者による対話を成立させるためにも、自分だったらどうするかをまず描くことが大切ということ。」


◇気になることがどこに書いてあるかを想像してみること

  • ひとつには、自分の気になることがテキストの”どの部分”に入っているのか、それを予想しながら読むということです。この、「予想しながら」というところがとても大事ですね。もうひとつは、読書によって読み手は新たな時空に入ったんだという実感をもつことです。そのことを読みながらリアルタイムに感じることです。この「リアルタイムに感じる」ということが大事です。読んでいる最中に何を感じたかも、マークしておきたい。(82ページ )

■コメント「これも先述の「対話」に関連することと思われる。著者の構築した世界を渉猟しながら、自分なりに何を感じたかをきちんとおさえておくこと。」


◇同じテーマを持った関連書籍と併せ読むことの効用

  • もともと本は左右三冊ずつの並びをもって、書棚のなかで右にも左にも数珠つなぎにつながっているんです。これがそもそもの書物たちのスタンディング・ポーズです。基本セットです。(118ページ)

■コメント「書物はある意味、一冊で完全なものと考えてしまうと、それ以上の広がりやあるいは批判的な読み方ができなくなる。そうしたことを防ぐためにも類するテーマのものを三冊並行して読むことの効果は大きい。」


◇自分なりの解釈に基づいて本棚に本を並べよう

  • 自分の蔵書本棚を編集するわけですが、これはできるだけ「表向きの分類」にしないほうがいいですよ。(121ページ)

■コメント「表向きの分類というと、NDC分類ということになるだろう。0類総記、1類哲学とつながるあれである。これはとても便利なのものだけれど、セイゴオ流は、そうした分類を超えて、自分本位の分類に辿りついて初めて書物どうしの有機的なつながり、ネットワークを意識できるとしている。」


◇速読に囚われては読書の意義が失われる

  • 速読にとらわれるのがダメなんです。どんなテキストも一定の読み方で速くするというのは、読書の意義がない。それって早食い競争をするようなものですから(笑)。(124ページ)

■コメント「読書にはどうしても「囚われ」があって、読書をすることそれ自体が目的化してしまう危険性がある。本質的な読書は、書物と対話すること、それには、時間をかけて行わなければならない部分と速読でも可能な部分に分けられるはず。」


◇「語り」につながるような教養を身に着けよう

  • 大学からも教養課程がなくなっているし、どうもリベラルアーツを軽視する傾向があるね。そのくせ漢字クイズや歴史クイズや、観光地の検定が流行する。これは「○×の知」にはいいかもしれないけれど、人間にとって一番たいせつな「語り」にはなりません。(148ページ)

■コメント「世の中、教養クイズ番組が多いが、それって何?という感じはある。○○と聞いたら××と答えるのではなく、語り紡げることこそが本質的なこと。文学に対しては文学でしか回答できません。」


◇書物は単独では存在しえない、必ずつながりがある

  • 本来、書物や知は人類が書物をつくったときから、ずっとつながっている。書物やテキストは別々に書かれているけれど、それらはさまざまな連結と間断と関係性をもって、つながっている。つまりテキストは完全には自立していないんじゃないか、それらの光景をうんと上から見れば、網目のようにいろんなテキストが互いに入り交じって網目や模様をつくっているんじゃないかというんです。(151ページ)

■コメント「テキストは過去からの連綿とした蓄積や、現時点におけるネットワーク的構造・文化の一部としてある。それだけが単独で存在するものではない。」


◇本のネットワークと、その中で光を放つ一冊

  • 何かたくさんの本とネットワークしていく可能性をもった、いわば「光を放っている一冊」というものが必ずあるんですね。それをぼくは「キー本」とか「キーブック」と呼んでいるんですが、このキーブックをもとに読み進むのが、三つ目の複合読書法です。(152ページ)

■コメント「それこそが古典的な本と言えるかもしれない。さまざまな疑問の出発点にあって、悩みぬいたような本。」


◇仕事ばかりでも、読書ばかりでもダメ

  • 自分で決めてきたことは、だからといって読書三昧の日々にはしないで、断乎として仕事は続けるということです。それも仲間とともに進める。一人ではなくてね。そして、仕事でいかに時間がとられようと、それでも読書をはずさないと決めた。そうやって、どんなときも、愉快なときも悲しいときも、調子のいいときも調子が悪いときも本を読むというふうにしてきたわけです。(162ページ)

■コメント「毎日の仕事はそれはそれで大切なもの。これがあってこそ思索にも深みができる。そして仕事をしているからこそ読書もできるという逆説的な構造がある。」