曽野綾子(2002)『「いい人」をやめると楽になる』祥伝社黄金文庫

■内容【個人的評価:★★−−−】

◇「死」について

  • 肉体が消えてなくなったのを機に、要するにぱたりと一切の存在が消えてなくなるようにしてほしい。考えてみると、人から忘れ去られる、というのはじつに祝福に満ちた爽やかな結末である。(25ページ)


◇結婚生活の要諦

  • 必要なことは、夫が妻にも、結婚生活にも、理想を求めないことである。というか、むしろしかたなくそうなってしまったその家独特の生活の形態を、あるがままに受け入れる度量である。理想どころか、平均値も求めないことだ。平均とか、普通とかいう表現は慎ましいようでいて、じつは時々人を脅迫する。(27ページ)


◇他人の不運について

  • 人間には醜い心があるから、他人の不運も時には楽しいのである。だから、自分が失敗した話、女房にやっつけられた話、自分の会社がどんなにろくでもない所かというような愚痴をこぼすことは、聞く相手にそこそこの幸福を与える。それを計算して喋るのである。すると相手も、「まあまあ、そういうこともあるさ」と慰めながら、「俺はそうでなくてよかった」と思うこともあるだろうし、「失敗するのは、俺だけじゃないんだな」と安心したりもするのである。(39ページ)

■コメント:もともと人間には醜い心があり、これを前提としてさまざまなことを考えて行った方が挫折しないで済む。


◇働き方について−職場を愛さない−

  • 私の実感では、人はどうも自分の職場を愛さないほうがいいような気がする。職場を愛しすぎると、余計な人事に口出ししたり、やめた後も何かとかっての職場に影響力を持ちたがったり、人に迷惑をかけるようなことをする。それでは誰でも現在いる職場では時間の切り売りをして、お茶を濁していればいいかというとけっしてそうではない。私は西欧人の、おそらくは主にキリスト教的な姿勢からくる「契約の思想」みたいなものが好きで、大人の判断で契約して働く場所を決めたら、その間だけは職場に忠実であるべきだと考えている。(72ページ)
  • 人間は、その人の体力に合う範囲で、働くことと遊ぶことと学ぶことを、バランスよく、死ぬまで続けるべきなので、もうアメリカ式の引退したら遊んで暮らす、という発想は時代遅れだと思う。そして当然のことだが、できればただ自分が生きるため以上の働き、つまり人の分も生産する働き、をしたほうがいいと思う。(83ページ)


福祉国家は人の心を貧しくさせる

  • 先進国における社会福祉制度の普及は、そうした人間の基本的な優しさを消した。そして経済的な保障が、国家や社会機構によってなされればなされるほど、や先進国の人の心は痩せて貧しくなった。私たちは物質的に豊かになると同じ速度で心が貧しくなった。この皮肉な相関関係を私たちは充分に認識して危倶すべきなのだが、その点はほとんど気づかれていない。(110ページ)
  • 現在の社会の不満は、多くの場合「人と同じものを自分が与えられていない」という形で表現される。しかし「人と同じものを与えられること」は、「人と同じものを与えられない」ことと同格の貧しさであることもはっきりと認識すべきであろう。(200ページ)


◇避けてきた人たち

  • 私が生涯「仲よし」にならなかった人種は、自分が人道的に正しいことをしている、と思っている人たちであった。一人の人間の命は地球よりも重いじゃない」と片方で言いながら、「生む生まないは女の自由よ」と言うのは論理に矛盾つじつまがあるのに、そう言って自己肯定をした人たちである。(139ページ)


◇戦争に対する謝罪について

  • 自分の親でも子でも兄弟でも配偶者でもない赤の他人が、戦争中に犯したことを謝れと言われても、私にはむずかしい。もちろん謝れ、と言われれば謝っておいてもいいけれど、謝るというのは本来自発的でなければ意味のない行為だから、強制されて謝っても何の意味もないだろうと思う。(140ページ)


◇「権利」の二面性

  • 今はすぐに「知る権利」ばかりが言われるが、個人にも組織にも「知られない権利」と「知りたくない権利」とは依然として残っているだろうと思うのだ。その点については、誰もほとんど言わないのが不思議なのである。(190ページ)


◇自分の言えることは何か

  • ワープロの悪口を言う人は、自分でワープロを使えない人なのである。使えない人に限って、ワープロでは文学に魂をこめることができない、などとトンチンカンなことを言う。使わないのは自由だが、機械もわからずに使う人の悪口を言うことはない。それが何であるかわからないことに関しては、私たちは口を喋むという礼儀がいる。私は原発のことに関しては発言しないことにしている。どれだけどうなったら、危険かどうか、私などにはわからないからだ。人は自分の好みだけをしっかり持ち、その範囲で発言し生きることだろう。その好みを静かに守り、その好みで相手を冒したり冒されたりしないようにすることだと思う。しかしこのルールを守るためには、静かな理性と、何より双方に勇気が要ることを、若者たちに自覚してもらう必要がある。(212ページ)

■読後感
この書物は、曽野さんの著作からの抜粋で構成されたものだが、カトリックの教えを背景に持ちながら、この世間で日々を送るうちに研ぎ澄まされてきた考え方として提示されている。
最も大切なのは自分であり、人に左右されない考え方に支えられて生きることだが、周囲の他者との関係性をいかに保つか、あるいは離れるか、ということも同様に重要であることを説いている。