小宮山宏(2004)『知識の構造化』オープンナレッジ

知識の構造化

知識の構造化

■内容【個人的評価:★★★−−】

◇知識の構造化とは

  • 知識の問題は、古来人間の本質的な興味の対象であった。ギリシャの時代には多くの賢人が知識について考えているし、現代に入っても、多くの哲学者が取り上げてきている。そのなかで、百科全書派と呼ばれる人びとが、知識を整理して蓄えておけば、それらを組み合わせて新たな知識が生み出せるはずだと、実は、本書で提案する知識の構造化という提案の一部と似たことを考えている。しかし、百科事典という便利なものはできたが、それ以上には発展していない。(2ページ)
  • つまり、新しい概念を理解するには、人との直接のコミュニケーション、知識の適切な動員と統合、表現方法などの組合せが重要なのである。これは、近年発達の著しい情報技術だけで解決できる問題ではない。理由のひとつに、こうした3つの要素を統合する具体的方法がないことが挙げられる。(3ページ)
  • 知識の構造化を「構造化知識、人、ITおよびこれらの相乗効果によって、知識の膨大化に適応可能な、優れた知識環境を構築すること」と、25.「知識の構造化の定義」の項で定義している。(4ページ)


◇知識を構造化するにあたっては全体像の理解から

  • 全体像を理解するには、問題の構造を同定するのが重要である。例えば、北欧の死の湖の問題なら、産業革命以後イギリスにおける石炭燃焼が増加し、排気ガスが偏西風に乗って北欧へ達し、硫黄酸化物による酸性雨が降って美しい湖が死の湖になった。この構造を理解して対策を考える。(21ページ)


◇知識は構造化されて初めて意味を持つ

  • OJTだけだと、千夜一夜物語のようなもので、文脈のない単語カードがばらばらと、下手をすると頭が知識のゴミ箱状態になる。ここに大学教育が加わることで知識が構造化され、人の知的世界が変わるのだ。(46ページ)


◇マニュアルの限界について

  • 高度の推論が必要になる囲碁のようなプロセスは、簡単にマニュアル化することができない。そのため、囲碁の全プロセスをいくつかの部分プロセスに細分化して、そのプロセスが持つ意味やチェックポイントなどを記述する。一つのプロセスには深い意味が数多くあるので、プロセスに関連する知識をすべて表現することは不可能である。その結果、一つのプロセスをマニュアルのように記述する時には、観点と目的を限定することが多い。(57ページ)
  • マニュアルに対する発想は、日本を含めた東洋と欧米では大きく異なる。東洋では、すべての知識をマニュアルに表現することは不可能だという前提に立つ。マニュアルには関連知識の一部しか書かれていないと思い、その裏面にある関連する知識が何であるかを自分で考える。「行間を読め」という表現は東洋思想だから理解できるのである。欧米では、すべての知識が表現されていないのは作業マニュアルではないと考える。またすべての作業は作業マニュアルに書かれている内容だけに依存して実施する。もし作業マニュアル通りに作業して不良品が出たり、あるいは事故があっても、それは作業者の責任ではない。(59ページ)


◇コンピュータは全能たりうるか

  • 医療知識をルール化し、コンピュータプログラムによるエキスパートシステムとして実装しようという試みは、20年前にすでにあった。しかし、単純なif-thenルールで表現し何らかの論理機構で推論するだけでは、多様な疾病と人とを対象にする医療行為には使いものにならない。必要なのはまず、膨大な医療知識を相互に関連付け、こうした関連の背景にある医学的根拠を表現することである。ITで実装された構造化知識システムの支援を受けつつ、領域専門家である医師が具体的な診療行為を行うというのが、知識爆発の時代における現実的な医療の姿であろう。医療は、人の体と心を対象にするから知的活動の中で最も複雑な行為に属する。こうした対象にこそ、知識の構造化が威力を発揮する。(73ページ)
  • 知識システムの導入期にも二種類の誤解があった。人が持つすべての知識をコンピュータに入力し高速で推論させると、コンピュータは人間のように、あるいは人間以上に優れた知的活動ができる。このようなイメージから、知識システムを導入すれば組織の知的作業の効率が飛躍的に向上し、人がいなくても優れた意思決定ができると考えた人々がいた。これが第一種の誤解である。知識システムが人の知的活動をあくまで部分的に補助するに過ぎないというのは言うまでもない。それが明らかになると今度は逆に、知識システムは何の役にも立たないという第二種の誤解が発生した。(107ページ)


◇研究を行うには先行研究を踏まえた全体における位置づけがまず必要

  • 答えは、全体像を描き、その中で自分の研究を他の知識と関連付ければ得られる。自分の研究を赤いビーズとしてビーズネットを作る、知識の構造化を行えばよいのである。学術論文なら、必ず緒論に明確に記述してある。これがないと、いったいこの論文は何を言いたいのか、読者は分からない。「これまでどのような研究がなされたか、現在分かったことと分かっていないことは何か、何ができて何ができないのか、そういう状況でこれからやろうとすることは何か」これらの質問に答えられないとしたら、もし博士論文の審査であれば失格である。研究の位置づけができていないということであるから。(81ページ)

■読後感
誰もみな、子どものとき以来毎日のように学校で、職場で勉強を積み重ねています。しかし、一定の年齢を迎え、これまで得た知識を自身の血肉にできていると言えるでしょうか。
そういった視点でこの本を手に取りましたが、この本の着眼点、問題意識は、どちらかというと具体的な研究や企業活動などに取り組むに当たり、世の中の知識をどう構造化して活用できるかといった部分に置かれたものでした。そういった点で、大学や企業での具体的取組が紹介され、「赤いビーズ(問題の焦点)からどうネットワーク(知識の構造化)を構築するか」ということについての解をさまざまに探っています。