大谷晃一(1997)『大阪学』新潮文庫

大阪学 (新潮文庫)

大阪学 (新潮文庫)

■内容【個人的評価:★★−−−】

◇大阪と東京の「笑い」の違い

  • 大阪の生んだ漫才は、それを演じる漫才師自身が阿呆になる。阿呆な事を言うだけではなく、どつかれたり、打ち倒されたりする。見物客は、作った人物の馬鹿さを笑うのではなく、漫才師そのものを阿呆だとして笑うのである。聞き手に優越感を与えて作り出す笑いである。(36ページ)
  • 東京の落語家はまるで違う。高度な芸を披露しているんだという気持ちである。志ん朝や談志のように「おれは偉いんだ」というのが露骨に出ている。大阪では鼻持ちならない。たけし、タモリの笑いはこの東京の笑いの伝統の上に立つ。たけし軍団の笑いは、軍団の中の弱者をいじめることの上に成り立つ。たけしと、きよしやさんまの腰の高さと低さを比べると、それが一目で分かる。(40ページ)


◇大阪の食は実質を重んじる

  • 大阪の食い倒れとは、味にぜいたくする意味とは少し違う。食べ物で倒産した話を、大阪で聞いたことがない。京都は将来また売れる着物を財産として残す。大阪の食い倒れとは、あすの活動のために、食事にはけちけちしないことを意味している。ただ、安くて栄養があってうまいものを選ぶ。(62ページ)


◇大阪人はたやすく白黒の決着をつけない

  • 相手のいうことに、反対という場合がある。東京や東北では、正面切って語気鋭く否定する。白か黒かを決しようとする。そういう人に会うと、大阪人はあきれて相手の顔を見つめる。たとえ明らかに間違ったことをいわれても、大阪人は「分かる、分かる」とまず相手を立てておき、「それもそうやけど」と、それをそっと横に置いて話を次に進める。いつの場合も、大阪人は真実は一つだけだとは思っていない。(93ページ)


◇大阪は多元性を重んじる

  • 地方から大阪へ来た学生の報告では、大阪では比較的に地方の方言を気にしないで話せるという。大阪弁自身が標準語でないのと、大阪人に言葉への気取りがないからである。大阪人は自分の文化に大きな自信を持っている。同時に、本当は文化が多様であることを知っている。東京のように統一したいと考えない。(100ページ)

■読後感
見事に大阪の特徴をとらえた一冊で、東京と対比することでいかに実質的で、また人情にあふれていてというところを浮き彫りにしています。大阪愛にあふれた一冊であり、この本自体が大阪人らしいと言えるかもしれません。
この中で、東京の落語が「高度な芸を披露している」という鼻持ちならないものであるとする解釈はどうでしょう。東京であれ大阪であれ落語の基本は「自分を笑う」であって「他人を見下す」ではないと思います。ところがいろいろ世間の風にさらされるなかで、とりわけ新しい笑いのスタイルは「他人を見下す」にシフトしてしまっていて、それが伝統芸能にも反映されつつあるのではないかと思います。とくに自由度の高い「漫才」が「落語」以上にその影響を受けているように思うのですが。